反省的記録を綴る理由①(災害・復興)支援の在り方に関する反省
前回の記事で、theLetterではこれまでの私の災害支援等の経験を主観的に、そしてまた俯瞰・客観的な視点(一般論)から、私にお伝えできることを綴っていきたいと書きました。
またタイトルに「反省的」という文言を入れている理由が以下の3つであると書きましたが、この記事では
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支援の在り方に関する反省
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復興に対する疑問
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未来への懸念
のうちの【①支援の在り方に関する反省】について、言及しておきたいと思います。
なお、支援において私が語る際、“特権”や“権力”の視点を大事にしたいと思っているため、「研究」「開発(観光)」なども類似したものとなります。そのあたり詳しくは今後書いていけたらと思っておりますので、よろしければ読者登録していただき、確認いただければ幸いです。

宮城県石巻市のとある灯篭
(災害・復興)支援の世界に飛び込んで今思うこと…
再び自己紹介となってしまいますが、私は東日本大震災(以下、震災)で「被災した地域」の外(外部)から、災害支援・災害ボランティアとして「被災地」に関わるようになりました。
2年間「外部支援者」として遠方から通い続ける経験と、移り住んで「支援者兼生活者」として支援活動に取り組む経験、さらには外部から(主に支援で)訪れる人を受け入れ「コーディネート」する経験をさせていただいてきました。
詳しくは今後少しずつ具体的に綴っていきますが、率直に、私は自分自身へのまなざしを含めて
「災害・復興支援というのは、こういうものでよかったのだろうか」
「支援の在り方を改めて見つめ直さないといけないのではないだろうか」
と感じています。
なぜそのように感じているかについて、この記事では概要のみ綴らせていただきます。
支援の原則と実際(私的)
震災後、「スフィア基準」というものが徐々に認知されるようになってきたように思います。
スフィア基準というのは「人道支援のための最低基準」を示しているものであり、
1)被災者には尊厳ある生活を営む権利があり、援助を受ける権利がある
2)実行可能なあらゆる手段を尽くして、災害や紛争の被災者の苦痛を軽減するべきであるとの信念があり、その倫理的・法的根拠として「人道憲章」と「権利保護の原則」が示されている
ものとなっています。(『災害女性学をつくる』より引用)
災害後に、人びとが尊厳のある生活を営むことは“権利”であり、そのための援助を受けることもまた“権利”とされています。
その“権利”は保護されるものであり、支援者は被支援者に適切な支援を提供することが求められます。
そしてまた、スフィア基準によると支援にあたっては
年齢、性別、障がい、階級や階層、民族、政治的立場、あるいは宗教の違いによって、人々の被災経験は異なる。また多様な脆弱性の重なり(たとえば、障がいを持つ女性)や、時間の経過による脆弱性の性質の変化にも目配りが必要
であり、
災害が男女、少年少女にもたらした影響の違いを理解し、男女・少年少女のニーズ、脆弱さ、利益、能力と災害に対応する戦略の違いを把握した上でもっとも効果を上げることができる
ということが強調されています(『災害女性学をつくる』より引用)。
災害は人間の都合に左右されないという意味においては平等に起こりますが、その被害は決して平等ではありません。
社会の傾き(“特権”)や社会情勢、それぞれに置かれている立場などによって異なり、ひとりひとり被災の経験は異なります。そうした傾きや違いをきちんと理解し、公正な視点で支援を展開する必要があります。
一方で、気を付けなければならないのは、
脆弱性が必ずしも女性、子ども、高齢者に限定されるものではなく、また脆弱な人々とのカテゴリーを押し付けてはならないことであり、災害に対応し、そこから立ち上がる回復力につながるような支援のあり方が、粘り強く検討される必要
があるという点であり、それぞれに被災体験は多様であることを理解しつつも、カテゴリーを押し付けずに、それぞれの回復力につながるような支援を行うことが求められるのが災害・復興支援(に限らないですが)のあるべき姿と言えるでしょう。
支援を受ける“権利”をもとに、「被災者」が尊厳をもってそれぞれの回復力につながる支援を享受できるようにすることが大切と考えられます。
しかしながら、私自身の反省を含めて言うと、実際には回復力につながるどころか、「被災地」「被災者」の力を奪ってきた支援さえあったのではないかと私自身感じてきました。
そこには支援の在り方や体制の問題もあれば、“特権”や“権力”の無自覚さ、社会の抑圧構造が大きく影響している実態があるように考えています。受援力の問題とされる部分もあり、それも最もではありますが、「知らないで済む」傾いた社会が災害によってより傾いていく、あるいは再生産されていくことで、力が奪われていくことこそ、その本質であるように思います。
私はこれまでこのことを深く反省しなければならないと思い続けており、今後少しずつ綴っていき改善につながれば…と微力ながら思っているところです。
「善意」と「美談」が有する力への無自覚さ…
支援が「被災地」「被災者」の力を奪う実態について、所感を書きました。
そのことを知って驚かれたという方もおられるかもしれませんし、もしかしたら「そんなことはない」「そんなこと書くな」と怒りに近い感情を抱かれた方もおられるかもしれません。
※もしそうした怒りに近い感情を抱かれた方がおられた場合、その怒り方そのものが「そんなことがある」可能性があります。
(ゆくゆく綴っていく予定ですが)私は災害支援・ボランティアをしてきて、よく「偉いね」とか「すごいね」といった言葉をかけられてきました。
その言葉がかけられる理由には様々あるかと思いますが、その前提には「支援というのは「善意」で成り立っており、かわいそうな人を助けるもの」という思い込み・上から目線があるといったことが挙げられるのではないかと考えます。
※先ほどの件で「怒り」の反応を示された方の中にも、おそらくこうした思い込み・上から目線がある(そのことに無自覚)のではないかと思います。
確かに、支援活動を行うには「善意」は必要だろうと思います。「勇気」も必要かもしれませんし、「善意」や「勇気」があるからこそ動けるといったことも確かにあるのかもしれません。
しかし、実際は「善意」だけではない(善意がほとんどない場合を含む)ことも多くあり、厄介なことに「善意」だからこそ「暴力性・加害性」があったり、そのことが(「善意」がゆえに)指摘されなかったりするということもあるものです。
実際「被災地」の内側においても「支援者への感謝」ばかりが可視化されている現状があり、「善意」に対する「感謝」が大きな声となっています。
私(だけではないでしょう)が目にし、耳にしてきたのは「感謝」とはほど遠いものも多くあるのに、そのことは「小さな声」とされています。
この「小さな声」とされている(そうしていられる“特権”)抑圧構造を自覚し、「実際にはどういうことが起こっていたのか」ということや、「なぜそうした実態があるのか・なぜそうしたことが起こるのか」といったことについて、もっと私たちは考えていく必要があるのではないかと思います。
また、今年は震災から10年であり、3月には多くのメディアで震災のことが流行語かのように扱われたことと思います。
半年以上が過ぎて、もうすっかりその言葉が聞かれなくなっているのが実際でしょうか。
私は震災から10年に関する番組をほとんど見なかったため、あくまで勘(いくつか見て思ったことに偏る)となりますが、メディアで取り上げられる「被災地」や「被災者」は「復興へ歩む人たち」や「かわいそうな人たち」として描かれていたのではないだろうかと思います(懸念しています)。
それを「誤り」とまでは言いませんし、メディアにも限界があるわけですが、支援においても「被災者」をどちらかのカテゴリーに置いたり、時に「美談」として「被災地」「被災者」が支援者らによって利用・消費されたりするように思えることも残念ながら見られました(私自身への反省を含めてです)。
J.F.モリスは
3.11後の支援には、被災者を受動的で主体性に乏しい「弱いもの」として決めつけ、十分な状況把握と被災者のニーズのアセスメントを行わずに被支援者を一方的に「支援」するものが少なからず見受けられた
と指摘していますが、私もこれまでの経験で(自身を含めて)そうした視点によって「被災者」が力を奪われる実態、さらには、「復興へ歩む」姿を含めて、それらが「美談」として消費されるだけの実態を目の当たりにしてきたように思います。
「現実にある大変な状況」を知ってもらうために、その状況がきちんと可視化される必要は当然あります。当事者の語る言葉には力があり、大切に受け止められるべきものでもあります。したがって、構造上、ある程度はそうした事態から避けられないのかもしれませんが、「お涙頂戴」のように描くことは、“何か”を覆い隠すことにもなります。
大変な状況から尊厳のある生活を送れるようにするということは当然の“権利”です。
それがなされていないのは、その人に「力がない」ということではなく、「支援」が行き届いていないということです。
出来事や当事者の語りによって心が動かされるということは当然あると思いますし、それは大事なことではありますが、「善意」や「美談」が「何か」を隠してしまうことがあることに、私たちはもっと敏感になる必要があるのではないかと思うのです。
「」で括っている理由
この記事の最後に、なぜ私が「被災地」や「被災者」という言葉を「」で括っているかについて書いておこうと思います。
これまで私は「被災地」に「通う」経験をしてきました。
災害をきっかけに「地名も名前も知らないところ・知らない人の元に出向く(通う)」経験を重ね、「通う」ごとに知っている地名や名前が増えていく経験をしてきたのです。
その時にふと思ったのが(当たり前のことなのですが)、災害が起こると突如として、それらの地名や人の名前が固有の名前から「被災地」や「被災者」と言われるようになるということでした。
ある日突然、自分の住んでいる地域が「被災地」と呼ばれるようになり、○○さんのことを「被災者」あるいは「被災した○○さん」と呼ばれるようになるわけです。
上記したように、それは現状を知ってもらうためにある程度は起こりうることなのかもしれませんし、「被災者」として「権利」を享受する必要があるためには便宜上必要なところがあるのかと思いますが、それはどういう経験なのだろうかと、私はこれまで考えてきました。
当事者ではない私にはそれは知る由もないのですが、わからないからこそ、慎重に考えていたいと思っており、カテゴリー化してしまわないように、あえて「」で括って意識するようにしています。
またこれもゆくゆく綴っていきますが、災害が起こると、どこからどこまでが「被災地」であり、誰が「被災者」なのかという問題が発生します。
これはとても大切な問題であり、支援を考える上で考え続けねばならない問題です。
こうしたことから、本当は「被災地」「被災者」という言葉をあまり使いたくないのですが、あえて、その定義をしっかり考え続けるために、また読者の方に共に考えていただきたいと思い、今後も「」付きで使用させていただいていきます。
これが正しいのかは正直わかりませんが、支援を考えるうえで、言葉や名前についてきちんと考えることは大変重要なことと思っています。
震災後、それらが取るに足らないことかのように扱われてきたということもあったことも反省すべきと考えます。
※この記事ではあえて多めに使用したことを付け加えておきます。
以上が、①支援の在り方に関する反省の概要となります。
次の記事では②復興に対する疑問を書き、また次は③と続く予定です。
その後、具体的な体験や内容に入っていきたいと思います。
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お読みいただき、ありがとうございました。
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