「被災地」での災害ボランティア活動記録⑪ー三回目の宮城県石巻市訪問三日目ー

東日本大震災後、宮城県石巻市に三回目の災害ボランティアに訪れたときの記録です。
三日目の活動について、内容とその時に経験したこと・感じたことを記録に沿って反省的にまとめます。
私自身(ボランティア側)の傷つきの記述があり、恥ずかしい気もしますが(これもジェンダーの問題と言えそうです)まとめました。弱さが気軽に共有されるといいなとは思うので、サポーター限定でなく公開としました。
大塚光太郎 2024.04.23
誰でも

東日本大震災後に通い続けた宮城県石巻市での災害ボランティアの記録。

震災からおよそ4ヶ月が経つ7月の頭に石巻へ三度目の訪問をし、ボランティア活動をしてきました。

ここでは三日目の活動内容とその時に経験したこと・感じたことを反省的にまとめたいと思います。

当日に書かれたものではありませんが、当時の記録としてメモが残っているため、それをもとにその時の様子や反省すべき点、共有しておきたいことなどについて書こうと思います。

石巻市南浜地区の門脇小学校被災跡・焼け跡(震災から4ヶ月後)

石巻市南浜地区の門脇小学校被災跡・焼け跡(震災から4ヶ月後)

***

ボランティアの負う傷

三日目のこの日は活動前に石巻市でも壊滅的な被害を受けた門脇地区にJENのスタッフに連れて行ってもらいました。

この地域は海と北上川に面しているため、津波被害が甚大となり、火災も発生したエリアでした。

今後少しだけ触れる予定の(個人の活動ではないため書けない部分が多いと思われます)大学の活動において、お世話になる施設がこのエリアにあったことを私は後から知ることとなりました。

記録には

壊滅もいいとこ…焼けたあとの匂い…(略)戦争のあとのよう…「やりすぎだよ」と思わずにはいられなかった
一人だったらボロボロと泣いて崩れていたかもしれない

とあり、その被害の大きさを目の当たりにして、私自身深くショックを受けていることがわかります。

石巻市南浜地区の被災跡(震災から4ヶ月後)

石巻市南浜地区の被災跡(震災から4ヶ月後)

石巻市南浜地区に置かれていたぬいぐるみ(震災から4ヶ月後)

石巻市南浜地区に置かれていたぬいぐるみ(震災から4ヶ月後)

石巻市南浜地区の門脇小学校被災跡・焼け跡(震災から4ヶ月後)

石巻市南浜地区の門脇小学校被災跡・焼け跡(震災から4ヶ月後)

「一人だったら」とあるのは、男性として悲しみや弱さを外には出してはいけないというジェンダーの問題を私が内在化していることもあれば、「被災者」こそが悲しんでいるのだから私は泣く立場にいないという認識を持っているなどなど、そういう力が働いていたのことが(恥ずかしながら)伺えます。

震災から4ヶ月が経っているにもかかわらず「焼けたあとの匂い」がするというのはどういうことか(その時の匂いは確かにそこにあったのか、私が勝手に感じただけなのか)は未だによくわかっていません。でも確かに感じたことは覚えています。

このエリアは被害が大きかったがゆえにテレビでもよく映っていました。私自身、画面越しに見たことがあったため、その光景が目の前にあるということがより私をセンシティブにさせたとも考えられそうです。

そうしたこともあり、この日の活動は公園の側溝清掃をボランティアとして行ったのですが、誰か(集団)と一緒に作業をしていて

「やってやる」のよくなさを感じた。なんだか悲しかった。

と記録がされていて、ボランティアや支援者側のスタンスに違和感を私が覚えたことが伺えます。

当時の具体的な様子を思い出せないので、実際にボランティア側が上から目線で取り組んでいた可能性も否定はできませんが、私自身が被災者の目線(というとおこがましいですが)や痛みを強く感じ、傷ついていたことが大きく影響していたと考えられます。

このときの公園の側溝清掃は広い範囲を大人数で様々な人達と取り組んでいたことから、気持ちのズレが生じやすかったとも言えるでしょう。それを私は

(作業中)心を開く・支え合うコミュニケーションの大切さを感じた

という風に(浅はかな記述ですが)記録していました。

個人の問題にしているあたり、何も学べていないように感じますが、こうしたことを積み重ねるうちに、「被災者」にとって「ボランティア」「支援者」がどういう風に見えうるか、そうした立場の人たちの言動がどう映りうるかを考える機会にはなっていったのだろうとは思います。

石巻市の(どこかの)公園の側溝清掃の様子

石巻市の(どこかの)公園の側溝清掃の様子

ちなみに、側溝清掃については

手をはさまないように!!

消臭剤の(撒く)作業はとても楽しかった

などという記録もあり、自身の気持ちのバランスを保とうとしたり、作業が安全に行われるようにということも考えていた様子が感じられます。しかしそれは傷を丁寧に見ることや開示すること・扱うこととはまた別の話であり、ボランティア(自身)のケアは大事になっていたのだろう(ずいぶん前からそうですが)と感じます。

語られる被災経験

今回の記録には、「被災者」や、被災しながら支援をしている人たちの語り、命の危機に関する話がいくつかありました。

記録には、

電車かバスか…電車だったらのみこまれていた

という経験をシェアされた話もあれば、散歩していた女性の高齢者から

私は山があったから逃げることができた

という話をされたことが書かれています。

高齢者の方は続けて

いのちがあるだけ感謝。なんでも食べれるじゃないか。

と話していた記載があり、それに対して私は

走って逃げれる人はいいが、そうでない人はみんな…

とモヤモヤとしていたことが、記録からは見て取れました。

偶然が命を左右するという不条理さもあれば、平等ではない社会の現実と、自殺者数が年間3万人近い中でのこうした「いのち」の話をどう考えればよいのか。当時の私がこうしたことをどこまで感じ、考え、言語化できていたかは不明ですが(全く自信がないです)今はそういう視点抜きで災害を語ることはできないと感じています。

「被災地」では(当たり前ですが)そこで出会う人それぞれに被災の経験があることが多く、何気ない会話の中で唐突に被災の話をされることがあります。

そのことはこれまでの記録(経験)からも明らかなのですが、今回の活動でより深く実感しているように(記録から)見られました。その理由を考えると、震災から4ヶ月が経ったことで、少しずつではあるものの自身の経験を語りはじめる人が増えてきたということや、ボランティアのような外の人になら話せるということがあったから(それらを実感していたから)ではないかと考えます。

そうした背景があるならば、ボランティア・支援者側の傷つきについてはより丁寧に考えられるべきだっただろうと感じさせられつつも、次から次へと移り変わっていく中で、誰もが変化に着いていくのに必死だったために、それらは置き去りにせざるを得なかったのかもしれないとも思われます。それは「体制不足は仕方ない」「自己責任でなんとかすべき」というイコールではなく、「被災地」「被災者」の傷つきの大きさ、そのことへの支援の充実に力が注がれるべきであることは前提に、傷や弱さ、ケアのある社会の必要性を問うものであるように感じます。

記録の最後には

(今回の活動の日程が)七夕、ひまわりの季節
8月にはお祭りをやるそう

という記載もあり、圧倒的に戻せないものがある現実を前に、それでもそれを、日常を必死に取り戻そうと奮闘する人たちの姿や傷つきなどを私が勝手に感じていたことも想像がされます。そしてその脆さを私はケアするのではなく、力技でなんとか受け止めようとしてきた、希望を見出そうとしてきたであろうことも感じます。

女川町にあったお祭りの飾り(?)

女川町にあったお祭りの飾り(?)

殊、男性は有害な男らしさ(を自ら築き)に縛られ、自身のケアに集中できない(しない)という課題が社会にある中で、災害が起こった時にそれが如実に傷の放置につながってしまうことを今書いていて改めて思います。「支援者」などの力のある立場の人も同様に、弱さを開示してはならないという力が働く社会であるように思います。もちろん、傷に飲み込まれていては誰かをケアすることはできないので、時と場合(等)によってはその力が働くことは求められて然るべきだと思います。それでも誰もが傷つく存在であることが大切にされる社会を考える必要があるのかと改めて考えさせられます。それを実現するのは誰なのか。誰にその負荷が今向かっているのか。真剣に考えなければならないと(私は私に向けて反省的に)思います。

『被災地での災害ボランティア活動記録⑪ー三回目の宮城県石巻市訪問三日目ー』の記事は以上となります。

短いですが、この日の記録は自身の傷つきに目がいくものが多く、正直恥ずかしいですし、「被災地」「被災者」のそれに比べたら…という話もあるため(そのことは今後別で書く予定)まとめるのが少しむずかしいなと感じました。

ただ、人の弱さや脆さがもっと大切にされる社会であってほしいということも書き終えてやはり思います。私の経験と「被災者」の方の声などを中心にする(多く反映される)記事はサポートメンバーのみとさせていただいていますが、今回の記事は公開としようと思います。

「誰かを傷つけてしまうから」と、語ることを遠慮する・躊躇するという方向にいかないといいなと心から思いますが、誰もが傷を負うということは自身をはじめ誰もがケアを必要とするということだと思います。そのことこそが大事にされる社会であれば、自身や他者を尊重することができ、そんな社会こそ災害時にも強い社会なのではないかと思います。

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