災害伝書鳩:「ガレキ」という言葉

活動記録やテーマ記事のほかに、共有したいと感じてきた「被災地」「被災者」から私が教わったこと=災害時に(きっとどこでも)起こることについても、theLetterでコラム的に綴りたいと思います。
ここでは、被災した「モノ」が当たり前に「ガレキ」と呼ばれることについて、考えます。
大塚光太郎 2024.08.01
誰でも

"ガレキ”という言葉

「震災から数ヶ月が経つも、被災地では未だにガレキが散乱する光景が見られます」

「被災地ではガレキの撤去作業のために、多くの災害ボランティアが求められています」

災害時には「被災地」の光景とともにこうしたニュースが連日放送され、「ガレキ」という文言がよく聞かれるようになるかと思います。

災害の規模や種類にもよりますが、災害が起こると多くのモノが壊れ、多くのモノが失われます。

町が破壊されたことによって散乱した「モノ」たちは、その時から一様に「ガレキ」と呼ばれるようになり、当たり前のように「ガレキ」という言葉が使われるようになります。

リアス・アーク美術館の館長である山内宏泰氏(以下、山内氏)はそのことを共著『モノ語りは増殖する 被災物』でこう言います。

瓦礫という言葉はメディア等によってその後も使用されつづけました。結果、被災したモノを瓦礫と表現することが一般化し、被災地支援者でさえ、なんの疑問も持たず瓦礫という言葉を使いつづけました。
『モノ語りは増殖する 被災物』

石巻市にあった被災したぬいぐるみ

石巻市にあった被災したぬいぐるみ

私の活動記録を見ると、私自身も支援者という立場でありながら「ガレキ」という言葉を確かに使用していたことに気付かされます(反省したい気持ちです)。ただ、私が初めて石巻市に訪れた日の最終日(その日の記録は活動記録⑤となります)のメモには

ガレキといえど、家の一部、大切なものの一部であるため、扱いには気をつけねばならないと感じた。また、思い出の品などが出てきたり一見ただのガレキも家の方(漁師)にとっては必要なものもあった(略)
メモ

とあり、「ガレキ」という言葉を使用することにほんの少し違和感を覚えるようになってきている様子が伺えました。それは、目の前の「ガレキ」はただの「ガレキ」ではなく、誰かの暮らしの一部であり、誰かにとって大切なものである・あったことを確かに体感したためだろうと思います。

山内氏が同著で

被災後、初めて「ガレキ」という言葉を耳にしたとき、私は軽い違和感を覚えました。
『モノ語りは増殖する 被災物』

としているところを鑑みると、私の違和感は私が実際に「被災地」で過ごしたことで、おこがましくも「被災者」の目線にほんの少しだけでも立つことが可能となった瞬間だったとも言えるのかもしれません。

「被災者」の目線に立つ、立てなくても(それが当たり前)立とうとすることの大切さはこれまでに何度も何度も痛感させられてきました。その中でも「ガレキ」が「ガレキ」ではないことを改めて考えさせられた経験を共有したいと思います。

2019年に起こったいわき市での台風被害のボランティアに訪れたときのこと。その日私は台風によって一階が浸水した住宅の泥出しや「モノ」の撤去作業を行いました。

家主の方にあいさつをして家の中にあがらせてもらうと、泥だらけになった大量の畳や服が散乱していました。私を含めたボランティアはそれら泥だらけになった「モノ」を次から次へと外に運び出す作業を行います。運び出す際には、家主の方に都度「不用品かどうか」を尋ね、その意向に沿って「モノ」の仕分けをしていきました。そうした作業をしながら私は「あぁ、これは(家主さんにとって)しんどいだろうな…これで本当によいのかな…」と感じていたのです。

こうした作業風景は何の変哲もない、「被災地」ではありふれた光景です。家主の方に尋ねながら行っていることからむしろ丁寧に活動をしているとも言えるでしょう。しかし、これを「被災者」の目線=家主の方の立場で考えてみると、少し違った見え方がするように私は感じていました。たとえば、ボランティアにとって撤去する「モノ」は、家主の方にとってはこれまで使用していた「モノ」です。ボランティアが手にした「モノ」を見せる行為は、家主の方にとってはこれまで使用していたものが被災して変わり果ててしまった姿を見せられる行為だと考えられます。そう考えると、家主の方のことやそこでの暮らしのことを何も知らない人たちによって汚れてしまった「モノ」を見させられ続け、「不要かどうか」と問いかけられることは、どれほどしんどいこと(ないし、恥ずかしいという気持ちなどになること)だろうと感じたのです。

ボランティアは作業時間も人員も限られています。限られた中で少しでも早く「被災者」に元通りの生活をしてほしいという思いで活動をしていることでしょう。その意味では決して「被災者」をつらくさせたいわけではなく、作業が効率的に進むように「不要かどうか」を問うているに過ぎません。そして、ボランティアはその名の通り自主的に活動する人たちであり、本来泥出しなどをする義理・義務などは全くない人たちです。そうした善意で自主的に手助けをしに来てくれた人たちが、泥出しといった大変な作業をしている。その現場で「不要かどうか」と「モノ」を差し出されたら、家主の方(「被災者」)は物思いにふける暇などなく、迷惑をかけないよう、作業の邪魔をしないよう、適宜素早く答えて(応えて)いかなければならないと感じるのではないかと想像がされます。

いち早くもとの生活・日常に戻れるようにという願いは当然「被災者」も持っていることでしょう(もとの生活が安心できる生活ではない人も多くいることは忘れてはいけないと思いますが)。むしろ、その願いはボランティアのそれとは比べられないものだと思われます。その意味で撤去作業がいち早く終わることを願うことも、顔も名前も知らないボランティアが手助けしてくれることを頼もしく思うこともきっとあるでしょう。しかし、だからこそ、「被災者」はボランティアの「不要かどうか」の問いかけに素早く応答しなければならないと感じ、そのことは家主の方(「被災者」)にとってどのような「モノ」かどうかということよりも、どう見ても汚れがひどく変形してしまって使えなくなってしまったような「モノ」は「不用品」である、といった一般的な規範が強く働いてしまうのではないかと思われます。そうだとすると、「被災者」は自分の気持ちよりもそうした規範の力や迷惑にならないようにといった思いを強くしながら-ただでさえ被災によって戸惑いや不安を覚えている中で-応えている可能性があると想像する必要があるのではないかと私は感じていたのです。被災していなくても、日常で使用していた「モノ」を次から次へと選別する、しなければならなくなるということは大変なことだと私は思います。そんなことを言っていたら進まないという気持ちも理解できますが、そうした作業がどれだけ「被災者」にとって酷なことであるかは想像する必要があり、私自身深く考えさせられる経験でした。

活動を終えたあと、一緒に活動をした仲間と振り返りをしていたとき、ある方が「不要かどうかなんてそんな簡単に決められるわけないのに…」という話をされていました。その方は「不要となったモノが集められる処理場に、あとから取りに行く人もいる」という話もしていました。そうした人の思いや感覚を災害ボランティアをする人は想像する必要があるのではないかと私は考えます。当事者にとっての気持ちよりも「ガレキ」とされる力が働きやすい現場にいること、どう見ても「不用品」=「ガレキ」にしか見えないものであってもそれは「ガレキ」ではないかもしれないことを念頭に置くべきだろうと私は感じています。

災害ボランティアに関わったことのある人(に限らないと思います)は、こうした経験を少なからずしてきているだろうと思います。そのため「ガレキ」という言葉を使わないのはもはや常識に近いことのように私としては感じていますが、それでもまだメディアなどで当たり前に「ガレキ」という言葉が使われるうちは、そこにある違和感を言葉にしていかないといけないのではないかと私は考えます。

山内氏は「ガレキ」という言葉に対する違和感から、自身で「ガレキ」という言葉の意味を調べ、そこに「価値のないもの、つまらないもの」という意味があることを知って以来、

私はこの言葉の使用を禁止しました。
『モノ語りは増殖する 被災物』

と言います。そして、

被災者を傷つけないために何か正しい表現を見つけなければならないと考えるに至りました。
『モノ語りは増殖する 被災物』

として、

新たに用いた言葉が「被災物」です。
被災した人を被災者と呼ぶように、被災したモノは「被災物」と呼びます。
『モノ語りは増殖する 被災物』

と、新たな言葉を生み出しました。

私はこの「被災物」という言葉を知って以来、被災した「モノ」を「被災物」と呼ぶようになりました。その言葉が生まれるプロセスを知って、このことの重要性を再認識しています。

『モノ語りは増殖する 被災物』の共著者であり、作家の姜信子氏(以下、姜氏)はこう言います。

リアス・アーク美術館で「被災物」に囲まれれば、それが単なる瓦礫でも単なる瓦礫でも、残骸でも、ましてやゴミなどではないことは、ありありとわかる。「被災物」は「モノ」なんですよ。人々と暮らしを共にし、人々と共に大地震と津波を経験し、人々と記憶を分かち合い、人々と共に生きてきた記憶を孕み、人々と共に生きてゆく祈りを宿す、そのような意味において、魂ある「モノ」なんです。
『モノ語りは増殖する 被災物』

被災した「モノ」=「被災物」は仮にもとの形・本来の形を失ったとしても、あるいは、使い物にならなくなったとしても、確かにそれとともに暮らした人・使っていた人の記憶を孕んでいる。そのことを失ってなお、いや、失ったからこそ痛感する人々とこれまで私は出会ってきました。姜氏と同じく、リアス・アーク美術館にはこれまでに何度か訪れており、そのたびに「被災物」が「モノ」であるということについて考えさせられてもきました。そうした経験から、災害現場に立ち会うとき、また「被災するということ」に向き合うとき、こうした感覚を想像し、感じようとするかどうか、そして知識として持っているかどうかは大きな違いを生むように感じています。

もしかしたら「被災者」の中には「被災物」を「ガレキ」と呼んでしまいたい気持ちとなる人(こと・時)や、変わり果ててしまった「モノ」をもう見たくないといった気持ちになる人(こと・時)、捨てるしかないという思いや葛藤が生まれてかえって粗末に扱いたくなる気持ちになる人(こと・時)、そもそも大事な日常などなく、なくなってくれてスッキリとした気持ちになる人(こと・時)などもいるかもしれません。そうだとしても、そのことはかえって「モノ」には感情と記憶が籠もるのだということを暗に示していると言えるように私は考えます。

いつの世でも、自然災害の後にやって来るのは「人災」であった
『海と生きる作法―漁師から学ぶ災害観』

災害時・災害後に起こる人災は、非日常の特別な出来事に限らず、むしろ、日常の中で起こることの方が多いだろうと思います。人と人が出会う中で一切傷つかないということはないと考えますが、だからこそ、災害時により強い形で人災が起こらないよう、事前に防げる可能性について考え続ける必要があるのではないかと私は考えます。「ガレキ」という言葉について考えることは、何気ないやり取りの中に人災(二次加害)が容易に発生しうる現実について考えるひとつの契機となるのかもしれないと私は思います。

※以前も「ガレキ」に関する記事を書いたことがありましたが、少し書き方を変えて改めて書いています。今後も私なりに考えながら綴っていけたらと思います。

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