自己紹介および今後綴っていくことについて
はじめまして。
大塚光太郎と申します。
theLetter最初の記事は、簡単な自己紹介と当ブログを通じて私が何を書こうとしているか・なぜ始めたかについて書かせていただきます。
自己紹介ー主に大学時代までー
まずはじめに、私のこれまでー主に大学時代までーについて書かせていただきます。
※詳しくは、はてなブログの方で小出ししておりますので、よろしければそちらをご覧いただけたらと幸いです。
私は埼玉県で育ち、小・中・高・大・院までを埼玉県で過ごしました。
大学は立教大学コミュニティ福祉学部に進学・卒業し、大学院も同学部に進み、修士課程まで取得しました。
大学は上記の通り福祉に関する学部に進学しましたが、特に福祉を学びたかったわけではありませんでした。
大学進学自体、親に説得されたり「周りが大学に行くから」ということでぼんやり考えていた程度で、それなのに一年間浪人までしました。
浪人生活中においても進路を見出すことができず、「とりあえず一生懸命勉強するので、自分の行くべき進路に出会えますように」と、完全に他力本願で過ごし、複数の大学・学部を受験した結果、収まったのが上記の大学・学部だったという感じでした。
…今思えば自身がとても贅沢な立場にいたということ、その“特権”に気づけていなかったということに心底呆れ、情けなく思っていますが、私なりにいろいろ悩みつつ過ごしてきて、「他力本願」もどちらかというと投げやりにしていたわけではなく(これも今思えば烏滸がましいのですが…)無力な自分が「どこに行けば世の中や誰かの力になれるか」がわからなかったためにしていました。
大学に入学してからはありがたいことに友人に大変恵まれ、とても楽しく過ごすことができていたのですが、大学の講義はもちろん、自身のまわりで起こる(起こってきた)様々な問題や社会問題などに出会う中で、社会の不公平さ・無理解・己の無力さ等に吐き気がし、うまく学生生活を送ることができない時期がありました。
そうした時期を私なりにもがいて過ごしているうちに、不登校・ひきこもりの子どもや遺児・孤児などのサポートに関わるボランティア活動に携わるようになります。
また、インターンシップに関する講義の際に、担当教授が私のインターンシップ先の選択について(私の選択に反して)「あなたはこっちじゃなくて、国際協力の方に行った方がいいのでは」と促してくれ、国際協力の世界とも関わることになりました。こうした出会い・縁が私の今に至るにおいてとても重要なものとなっています。
そうした世界で具体的に動いている人たちと出会ってからは、座学よりも社会問題・国際協力について身体で学ぶことが増え、「もっとこうした世界を知りたい」「この歪んだ世の中でどのように生きていくことができるのかをもっと考えたい」と(若輩ながら)思い、日々を過ごすようになりました。そして、再び就活・進路選択の時期が迫ります。
周りの仲間たちがスーツ姿で就活に励んだり、公務員や資格試験勉強に取り組んだりしている中、私がしていたことは様々な人に出会って話を聞くことでした。
具体的に言えば(これも今思えば失礼な話ですが…)大学教授、カウンセラー、チャプレンなど、大学の中でお話を伺ってみたいと思った方のもとにアポを取ることなく、突撃訪問のような感じで(本当失礼)訪れ、そうした方々の人生についてお話を伺って回っていました。
そんなことをしているうちに新たな縁ができ、大学院という進学先があることを知って、もっと広い世界を見ようと思い、進学を決めます。
本当に失礼だらけですが、「研究をしたい」という気持ちはほぼなく、2年間現場(不登校や国際協力など、あらゆる社会問題の現場)に出続ける時間を持ちたいと考えての選択でした。
そして、私にとって大学卒業と大学院進学のタイミングである2011年3月に、東日本大震災(以下、震災)が起こりました。
自己紹介―大学院時代~今に至るまで―
2007年に大学入学した私は2011年の3月に大学を卒業し、4月に大学院に進学する予定でした。しかし、2011年3月11日に発生した東日本大震災により、卒業式は中止となり(正確には形を変えて行われた)入学式も特に行われなかったように記憶しています。
※震災に関することをtheLetterで今後書いていくことになりますので、ここではかなり割愛します。
春休みで時間のあった私は、学部生の頃にお世話になった上記の国際協力に関する団体と連絡を取るなどし、震災に関する様々なお手伝いをさせていただくことになります。
また、私の卒業・大学院進学先であった立教大学コミュニティ福祉学部では、今は亡き私の恩師を中心に、東日本大震災復興支援プロジェクト(以下、プロジェクト)を立ち上げ、学生を東北「被災地」に引率する活動を始めました。恩師が私を見つけてくれ、私はそのプロジェクトのメンバーとなり、引率業務・学生教育に従事するようにもなります。
さらに、そうした活動をしていく中で、これもまた学部生の頃にお世話になっていた遺児・孤児へのサポート団体関係者が連絡をくれ、そちらの活動のお手伝いもさせていただくようになります。
私は主にこうした3つの立場で、埼玉から東北に通い続ける大学院生活2年間を過ごしました。
2年間の活動を通じて「通うだけではわからないことがある」ことを強く痛感し続けていた私は、「地域を内側から知りたい・関わりたい」と思うようになっていき、大学院修了後(本当は休学も検討しましたが)に「被災地」に移り住む道を選びます。「選ぶ」と言っても、具体的に就職先を探すなどしたわけではなく、大学の先生方をはじめ、多くの方とのご縁やサポートをしていただいて、それが実現することとなりました。具体的には上記プロジェクトと子どものサポート団体を生業とし、住まいもお借りすることができ、大学院修了後の2013年から「被災地」に移り住むこととなりました。
こうして私は新たに「外部支援者」「移住者」「生活者」という3つの立場を持って、「被災地」に携わり続けることになります。
その後、所属などをいくつか変えることはありましたが、現在も(今のところ)「被災地」で生活をしており、フリーの立場で過ごしています。
当ブログで綴っていくこと・はじめた理由
自己紹介にお付き合いいただき、ありがとうございます。
だいぶ割愛はしましたが、このような経緯を辿って今の私がいます。そして、以上のような経験から得られた学びをtheLetterで綴っていきたいと思っています。
主にこれまで記録してきたことや記憶に残っていること・経験してきたことはもちろん、災害や支援についての一般論についても、私が共有できることを綴っていく予定です。
中でも、震災当時、私自身があまりに無自覚であった“特権”や“権力”に関する視点、“社会(抑圧)構造”などの視点を大切にしていきたいと思っています。
これらはすべて「被災地」・「被災地」に関わるすべての人たちから学ばせていただいてきたことになります。
それらを共有することで、少しでも今後の防災や減災、復興や支援活動(教育)などなどにお役に立てばと願ってやみません。
この記事の最後にこのブログのタイトルを「反省的記録」としている理由を書きたいと思います。
埼玉から「被災地」に通い続けた2年間。
移り住んで、「被災地」で過ごし続けた8年間。
こうした10年を通じて、私が今心の中に抱いていることを大きく3つに分けて書くとすると以下のようになります。
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支援の在り方に関する反省
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復興に対する疑問
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未来への懸念
ネガティブな項目を並べてしまいましたが、私自身への(厳しい)視線も含め、今、この3つをしっかり考え直さねばならないのではないかと私は感じています。
それがこのブログのタイトルに「反省的記録」という文言を入れた理由です。
反省をするにはエネルギーが必要です。自身の何かを失ったり、否定されたりすることもあるだろうと思っています。しかし、反省の中にこそ学ばないといけないものがあるように思っています。
記事すべてを「反省」の文脈で書くわけでは決してありませんが、キラキラした内容ではこぼれ落ちてしまうようなことを丁寧に扱っていきたいと私は考えています。
未だ若輩で未熟者ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします。
上記3つについては次の記事以降で詳細に綴っていく予定です。
ご関心を持っていただけましたら、また、応援していただけましたら幸いです。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
なお、具体的な経験や「被災地」「被災者」の声などを中心に書いていく記事は有料とさせていただく予定です。また、今後は基本的には読者限定とさせていただく予定です。これは彼らの声を「消費するためだけ」にならないようにしたいためでもあります(私自身がそうしないためにー記事にする時点である程度のそれは発生してしまっていると自覚していますがー真剣に綴りたいと思っているためでもあります)。ご理解いただけましたらありがたいです。
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