災害後の反応ー人(被災の内・被災の外)編ー

災害に関して特定のテーマを扱う記事。
今回は『災害後の反応-人(地域の内・被災の外)編-』というテーマで書こうと思います。
大雑把な内容ではありますが、災害後に「被災地」にいる人たちはどのような反応を取りうるのか、また、「被災の外」にいる人たちはどのような反応を取りうるかについて書いてみました。
大塚光太郎 2023.04.12
誰でも

前回『災害後の反応-地域編-』として、災害後に地域で起こりうる一般的な反応について書きました。

ここでは“人”に焦点を当てて、災害後に人が経験しうる(と考えられる)一般的な反応について書きたいと思います。

本当は『人編』はひとつの記事でまとめる予定だったのですが、だいぶ長くなってしまったため(これでも省略したのですが…文章能力のなさに凹む)ふたつの記事に分けます。

ひとつ目の記事は「被災地」という括りで「被災の内」と「被災の外」とで(あえて)分けた時に、それぞれに見られる一般的な反応についてまとめました。

次回は『地域編』で触れていた「年齢や立場」などという括りから見えることを書く予定です。

※以下に繰り返し書きますが、反応はひとりひとり当然異なるものであり、枠に当てはめて捉えようとすることは視野を狭くしてしまう可能性もあると考えています。ただ、「災害後にどのような反応を経験しうるか」を知識として理解しておくことは、渦中に陥ったときに自分も他人も傷つけないためのものともなりうると思われるため書いておこうと思いました。前回の記事を含め、あくまで「一般的な反応」(&私自身が見聞きしてきたものが中心)であって、参考程度で認識していただければ幸いです。

石巻市で見た桜

石巻市で見た桜

***

被災した人の(主に)直後に見られる一般的な反応

「被災を経験した人」(ここでは被災したエリアで直接的になんらかの大きな影響を受けている人のことを指し、俗にいう「被災者」のことを指しています。タイトルの「被災の内」にあたります)は一般的に皆、大きなショックを受け、時間の経過とともに心身に様々な反応を生じると考えられます。

災害が予期できたものかどうかによって異なる部分はありますが、一般的に人は、人の対処能力を超える出来事=災害を経験するとショック状態に陥り、「何が起こったかわからない」「目の前の光景が現実なのかどうか見分けがつかない」などといった反応を示すと言われます。

精神科医であるラファエルは

衝撃のごく初期の反応は精神麻痺、非現実感それに恐怖の感情に支配される。そして災害に見舞われた個人が、自分に何が起こったのかを理解しようとするにつれて、強烈な覚醒状態が生まれる。自分の周囲に起こった物理的な激変の根源や原因が判らない場合さえあるかもしれない
『災害の襲うとき』 ビヴァリー・ラファエル 石丸正(訳)

としており、「被災を経験した人」は大きなショックを受ける中で、いわゆる正常性バイアス(=異常なことを前に大丈夫だと思い込もうとすること)が働くと同時に、「覚醒状態」となっていくと言えるでしょう。

また、災害は人の力ではどうにもできない現実をつきつけることからも、呆然と立ち尽くし、無力感を覚えることも多いと考えられています。

ラファエルは

生き残った者には、この圧倒的なショックとなす術がないという無力感が、心に深く焼きつけられて、その被災体験全体の集約的な意味づけをすることになろう
『災害の襲うとき』 ビヴァリー・ラファエル 石丸正(訳)

としており、自然の脅威の前に人は覚醒状態になりつつも打ちのめされ、それがその後の心身の反応に影響するとしています。

当然、災害をひとりで経験するか、無力感を誰かと共有しているか、親しい人と災害後に再会できたかどうかなどによっても人の反応は異なってくるわけですが、そのことについては今後別の記事で書いていく予定です。

冒頭に書いたように、被災を経験した人は「何が起こったか」の状況が明らかになっていくうちに、心身に様々な反応を示すようになっていくと考えられます。

心身の反応について、「ケア宮城、公益財団法人プラン・ジャパン」は以下のように言います。

混乱したり、何が起きているのかわからなくなったりする人が多いでしょう。強い恐怖や不安を感じる場合もあれば、ぼうぜんとして何もできなくなることもあります。穏やかな反応に留まる人もいれば、激しく反応する人もいます。
ケア宮城、公益財団法人プラン・ジャパン『被災者の心を支えるために 地域支援活動をする人の心得』

また、それらの反応の違いは

過去の悲惨な体験、周囲の人びとからの日常的な支援、身体的健康、本人や家族の精神保健の問題、年齢
ケア宮城、公益財団法人プラン・ジャパン『被災者の心を支えるために 地域支援活動をする人の心得』

などによって影響されると指摘しています。

これらによる影響や違いなどについては次回の記事で書く予定なのでここでは省きますが、人が一般的に示す反応として具体的に

身体症状(震え、頭痛、ひどい倦怠感、食欲不振、痛みなど)、泣く、悲しみ、落ち込み、悲嘆、不安、恐怖、不眠症、悪夢、いらだち、怒り、罪悪感、恥(生き残ったことや他の人を助けることができなかったことなどに対して)、閉じこもり、じっとしている(動かない)、言葉かけに応答しない、まったく話さない
ケア宮城、公益財団法人プラン・ジャパン『被災者の心を支えるために 地域支援活動をする人の心得』

などが見られるとしています(ほんの一部のみ引用しました)。

災害を経験すると人は、身体・心・行動・社会(生活)の面から様々な反応を示し、共通するようなものもあれば人によって表れ方などが異なるものがあるといったことがわかるかと思います。

これらはストレス反応・トラウマ反応・喪失による反応(悲嘆反応・グリーフ反応)などと言われるものであり、このことについても今後別の記事で書く予定です。

以上のような反応を示すことや人によって反応が異なるということは、冷静に考えれば当たり前のことなのですが、渦中にいるときにはなかなかそのように思えず、「自分(または誰か他人)はおかしくなってしまったのではないか」と感じてしまうこともあり得ます。ここには書ききれていない様々な反応(思い)を抱くことも当然あります。いわゆるスピリチュアルペインと言われるような、なんで自分がこんな思い(体験)をしないといけないのかといった根源的な問いを抱くようになるといったこともあるでしょう。

いずれにしても、災害を経験すると様々な反応が起こるということをひとつの知識として予め頭に置いておくことで、自分がおかしくなったわけではないという理解へとつながり、それが役に立つこともあるかもしれないと私は思います。

被災の外にいる人たちの(主に)直後に見られる反応

災害後の人の反応において見落とされがちな点が、その影響の広さであるように思われます。

上記のような反応を示すのは「被災を経験した人」に限りません。

災害後の反応は「被災の外」にも見られることが指摘されており、精神科医の宮地尚子氏は

震災がもたらすトラウマやストレスは、被災者や、被災地をこえて広く及びます
『震災トラウマと復興ストレス』

と言います。

※「被災の外」というのは、宮地氏の言う「被災者」や「被災地」(災害による直接の被害を受けたエリアとここではします)から離れたところにいる人のことを指して書いています。

なぜ「被災の外」にいる人たちにまで影響が及ぶのか、そして、「被災の外」にいる人達にはどのような反応が見られるのかについて、私の体験を例に用いつつ考えてみようと思います。

まず、「被災の外」にいる人たちは「被災地」内よりもテレビの映像などで被災の様子を目の当たりにする機会を多く持ちます。

「被災地」ではインフラ機能が停止していることが多いため、「被災を経験した人」はテレビやラジオから情報を得るのではなく、自身の過ごす空間内といった限定された情報のみに触れることになります。

しかし、「被災の外」にいる人たちはそうではありません。

情報をテレビやラジオなどで得ることになるため、街が壊れていく全体の様子や人があちこちで負傷している様子、命からがら逃げている人の様子や助けを求めている人の様子などなど、同時多発的に情報を得ることになるのです。災害による悲惨な情報が一気になだれ込んでくるといったイメージと言えばわかりやすいかもしれません。

それらの情報を一度に大量に(集中して見てしまう・目を背けてはいけないと思うなども反応としてあります)目に・耳にすることによって、人はまさに「対処しきれない」状態に陥ると考えられ、「被災を経験した人」と同じような反応=大きなショックと非現実感等を示しうると言えます。

とは言いつつ、「被災を経験した人」と「被災の外」にいる人との間には大きな差があるという事実は理解しているため、自分が安全圏にいるということに対する罪悪感や申し訳なさ、何もできないことに対するうしろめたさ・無力感(「何かしないといけない」という反応と裏表の関係と言えるように思います)なども抱くと考えられるでしょう。

これまで綴ってきた私自身の災害支援の経験を例に見てみると、東日本大震災の映像を見た私はテレビの前で立ち尽くし、

(テレビの映像を見て立ち尽くしていた私は)この現実をなんとか自分の元に引き寄せ、「何かをしないといけない」と思うようになります。正確には私はテレビの映像から目を背けてはいけないと思ったり、「現地の人はもっと大変なのだから」と自分が仮に寒くてもストーブをつけなかったりといった反応をしていました。
https://kotaro-kiroku.theletter.jp/posts/16b585b0-76bf-11ec-a202-c325d8b8b3dd

と書きました。

映像を見て大きなショックを受け、非現実感を抱いていた私は、それが現実に起こったことなのだとなんとか理解(対処)しようとしていることがわかります。

同時に、安全圏にいる自分に対して罪悪感やうしろめたさの感情を抱き、「ストーブをつけない」というなんの意味もない懲罰行為(ないし、少しでも痛みを共感しなければ(したい)という強迫観念や、無力感から目をそらすための手段でもあったのかもしれません)を科していることも見て取れます。

私の場合にはその後ボランティアをしたり、「被災地」に直接向かうなどをしてきたわけですが、それらができない人たち、「被災地」に向かいたいけど事情があるなどして向かえない人たちが背負うことになったそれらは、その後に何かができた人よりも重くのしかかることになっているかもしれません。

「何かをしないと」「助けに行かないと」と思うことは、人間としてある種当然の感情(反応)として存在するもの・社会においてよしとされやすいものでもあると思われるため、それに背いている自分自身を情けなく思うといったことなどもあり得るでしょう。

それらよりも「これからどうなるのだろうか…」といった強い不安や恐怖感に襲われて身動きが取れなくなる、頭が働かなくなるという反応が出ることも当然考えられます。

「被災の外」にいる人のうち、「被災地」の出身である人や、「被災地」に身近な人・知り合いがいる人、「被災地」が思い出の地である人などはより強いショックを覚え、その場にいなかった自身や何もできないでいる自身を責める気持ちを抱いたり、周りの人の反応との温度差に傷つくといったことなどもあり得ます。

「被災の外」にいるからこそ負いやすい傷=反応があるということは大事な視点であると私は考えており、今後theLetterでもっと書いていくことになると思います。

さて、先ほど少し触れましたが、私のように災害後に「被災地」に向かう人(≒支援者)もおり、その人たちはどのような反応を示すことがあるかについても考えてみたいと思います。

「被災地」に向かう人は当然「被災地」の現場を直接目の当たりにするため、これまで書いてきたような「被災を経験した人」たちと似た反応を経験することは容易に想像がされます。

ショックと非現実感を覚えると同時に、無力感を覚えつつ、覚醒状態となって「被災地」で過ごすことになると言えるでしょう。

ここでも私の経験を例に挙げて考えてみると、私はこれまでの記事でちょこちょこ「自身が何をしてきたかの記憶がない」ことを書いてきました。

このことは直接「被災地」に足を運ぶ前の段階でのことですが、ショックを受けていることと、この段階ですでに私が覚醒状態(ハイ)になっていたためであると言うことができるように思います。

また、活動記録③で私が初めて「被災地」入りした時に

石巻に向かう高速道路に入ると、被害がよく見られた。海はないのに、なぜここで車がひっくり返っているのか。。そうした非現実的な光景と大量のがれきが積まれた場が見られ、痛みを感じた。
https://kotaro-kiroku.theletter.jp/posts/bf6f8b70-f354-11ec-b7f1-091df3c22de5

※「がれき」という言葉を使用していますが、これは当時のメモとして残っていたためそのまま使用しています。この件についてはまた別で記事等にする予定です。

とメモを残していると書いたように(その他、記事のあらゆる描写からも反応などはわかるので、ご関心ある方は登録や応援をいただければ幸いです)私が「被災を経験した人」たちと似たようなショックや非現実感、痛みを感じるといった反応をしていることがわかります(あくまでも「似たような(一般的な)反応」であることを強調しておきます)。

この「痛みを感じた」という反応は「代理受傷」と呼ばれるものであると考えられ、「代理受傷」とは悲惨な現場を目の当たりにしたり「被災を経験した人」の話を聞いたりすることで代わりに傷つくことを指します。このことについても別の記事で書く予定ですが、「直接の被災を知らない」といううしろめたさから「被災地」の傷をより強く感じようとする(自分の傷を覆い隠す意味合いでそうするケースもあります)といったこともあり得るため、その点には注意が必要と私は考えています。

「被災の内」と「被災の外」の反応について書いてきたわけですが、この記事の最後に両者に起こりうる反応の中で見落とされがちと思われるものについてひとつ書いておきたいと思います。

結論から言うと、それはストレスから身を守る、避けるための反応です。

私の活動記録④では

活動場の(近くの)神社や公園にもあったが、桜が本当にきれいだった…。避難所の学校にも、宿の目の前にも、いたるところに桜は咲いていた。夜はカエルの大合唱と流れ星…涙がこぼれた
https://kotaro-kiroku.theletter.jp/posts/91534d00-970c-11ed-ac1b-675d26f725ec

といったメモが書き残されていることを書きました。

これは(少し自己陶酔のような感じで気持ち悪い感じもしますが苦笑)おそらく私が現実から目をそらしてストレスから離れようとしたために取った行動(反応)だろうと思われます。あるいは、自然の「力」を感じることで、自身の無力感から目をそらそうとする行動=反応だったとも言えるかもしれません。

時折、悲惨な状況を見た人が「笑ってしまう」という反応を示すことがあると言われます。

悲惨な状況を前に「笑う」というのは不謹慎に映ってしまうものでもあり、非難の対象とされてしまいがちですが、これはストレスから離れるための反応のひとつだと考えられるでしょう。

これは両者と書いたように、どこにいても(どの立ち位置でも)起こりうる反応です。これらの反応は「惨事ストレス」と呼ばれているものであると考えられ、惨事ストレス研究の第一人者である松井豊氏は惨事ストレスとは

惨事に直面したり目撃したりしたときやその後になって起こる、外傷性ストレス反応
『惨事ストレスとは何かー救援者の心を守るために』

と定義しており(正確な定義はないとしていますが)惨事の例として

殺人、レイプ、強盗、暴行、テロ、拷問、人災、自然災害など
『惨事ストレスとは何かー救援者の心を守るために』

を挙げています。

これらについても詳しくはまた別の記事で(ばかりでごめんなさい)書いていけたらと思いますが、災害後に人はそれぞれの立ち位置(視点)において、様々な反応を経験していくということがわかります。冒頭で書いたように、あくまでひとりひとり反応は異なるものですが、こうした知識は自身や周りの状況を整理するうえで役に立つこともあるかもしれないため、ひとつの参考程度になればうれしく思います。

『災害後の反応@人(被災の内・被災の外)編』についての記事は以上となります。

『地域編』同様、不完全な内容となってしまいましたが、詳細は別の記事で書いていくーテーマとしなくても勝手に触れられていくとも思っていますーことになるのでどうかご容赦ください。

私の経験と、いわゆる「被災者」の方の声などを中心としている(多く反映される)記事は有料(または無料登録をしてくれた方のみの記事)の記事とさせていただいていますが、この記事は調べればわかるような一般論も多い記事だったので、誰でも読める無料のものとさせていただきました。有料記事からの引用をどうかお許しください。

なるべく簡易的(身近)なものをと思いつつ、でも一応王道の著書の引用などもした方がいいかなとか思いながら書いているので、逆によくわからない記事が多くなってしまっているかもと最近思いますが、今後も応援やゆるくつながり共に考えていただければ幸いです。

お読みいただきありがとうございます。

無料で「境界線に立つ私の災害支援・復興に関する反省的記録」をメールでお届けします。コンテンツを見逃さず、読者限定記事も受け取れます。

すでに登録済みの方は こちら

誰でも
災害伝書鳩:「ガレキ」という言葉
読者限定
災害と写真
誰でも
災害ボランティアの心構え(パートⅡ)
サポートメンバー限定
「被災地」での災害ボランティア活動記録⑬ー三回目の宮城県石巻市訪問五日...
サポートメンバー限定
「被災地」での災害ボランティア活動記録⑫ー三回目の宮城県石巻市訪問四日...
誰でも
「被災地」での災害ボランティア活動記録⑪ー三回目の宮城県石巻市訪問三日...
サポートメンバー限定
「被災地」での災害ボランティア活動記録⑩ー三回目の宮城県石巻市訪問二日...
サポートメンバー限定
「被災地」での災害ボランティア活動記録⑨ー三回目の宮城県石巻市訪問一日...