反省的記録を綴る理由③未来への懸念
これまで、東日本大震災(以下、震災)からの10年を通じて、私が今心の中に抱いていること(=「反省的」記録を綴る理由)の三つ
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支援の在り方に関する反省
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復興に対する疑問
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未来への懸念
のうち【①支援の在り方に関する反省】と【②復興に対する疑問】(どちらも概要程度ですが)について綴ってきました。
ここでは最後の【③未来への懸念】について綴りたいと思います。

建設途中の防潮堤
何を「二度と繰り返さない」のか
前回の記事で書いたように、震災から10年が経ち「被災地」ではハード面における「復興」がある程度完成に近づいてきているのではないかと思われます(当初立てた復興計画におけるハード面の完成という意味)。
ハード面での復興に終わりが見える「被災地」では、次のステージ(とどうやらされている)である「いかにして外から人を呼び寄せるか」に向けた取り組みが多くなされており、立派な箱物を使ったPR活動やイベント、海開き(再開)などが展開されています。
次のステージと書きましたが、無論、それは震災後(前からも)からずっとされてきていたことであり、外から人が訪れることで町がにぎわい、経済の活性化が促されること自体は必要なことでしょう。イベントや海開きに関しては地元の方々の喜びにもつながるものと考えられるため、そうした意味においても大変重要なことであると理解します。
しかし、そうした取り組みは「被災地」しいては「津波常習地」としての地域の「責任」とバランスを取る必要があるのではないかと私は考えています。そして、そのバランスが取れているのかどうかというと正直疑問を抱かざるを得ません。
ここで言う「責任」というのは、「被災地」「津波常習地」としてこれまで何度も聞かれてきた「二度と繰り返さない」ということを実現する「責任」です。
移住してきた身である私が「責任」などと言うことは「偉そう」なことかと思いますし、「被災地」の「責任」を固定化し押し付けるような言い方は本来したくないのですが、それでも「風化対策」「二度と繰り返さない」「教訓とする」「二度と津波犠牲者を出さない」と言い続けてきたからには、それを前提とした「復興(再開)の姿」が実現している必要があると思います。外から人を呼ぶのであればなおのことそうではないでしょうか。
繰り返しになりますが、今の「復興の姿」にその「責任」はほとんど見受けられません。果たして何を「二度と繰り返さない」と言っているのだろうか…これで本当に「二度と繰り返さない」ということが実現するのだろうか…と私は懸念を抱いています。
自己責任頼みの防災・減災と後回しにされる「責任」
なぜ、今の「復興の姿」が「責任」を取っていないと見えるのかについて、先述した海開きをひとつ例にして言及してみたいと思います。
「被災地」では海水浴場も大きな被害を受け、地盤沈下や被災物などが海に堆積しているなどの関係で、海開きをすることができない現状がありました。その打撃は経済的にも精神的にもかなりのものがあったと思われます。
しかし、10年という時間を経て海は再生を見せ始め(無論、多くの人の力がそこにはあります)海と共に暮らしてきた地域の方々や観光客にとって「念願」であった海開きが続々と再開しています。このこと自体は私も純粋に「再開できてよかった」と思う気持ちが強くあり、大変嬉しく思っています。
ただ、震災を経て「再開した」のであれば「海に入れるようになった」という機能的な再開でいいことはなく、また同じような災害(津波)が遭ったときのことが想定されている必要があるのではないかと私は考えます。
「再開した海水浴場」から素早く逃げられる避難経路や場所が整備されていることはもちろん、災害や避難を知らせる警報システムが聴覚障害の方や日本語がわからない方などにも適切に届くものとなっていることなどなど、多くの取り組みが必要なはずです。
そうしたことが取り組まれているところもあるかもしれませんが、今のところ、私はそうした取り組みをほとんど聞いたことがなく、自力で避難する(それは自助として当然ではありますが)という根性論とでも言えるようなものがベースとなって「再開」しているように見受けられます。
このように言うと「過度に恐れる必要はない」とか「自分から収集しないと情報が届くわけない」といった反論をいただくこともあるかと思いますが、「二度と繰り返さない」と言うのであれば、「自力で避難する」を越えられるもの、少なくとも多様な「自力」をエンパワーメントする在り方を目指さねばならないのではないかと私は思うのです。
これはつまり「インクルーシブ防災・減災」という話になるわけですが、私が知る限り、「被災地」において「防災・減災」の中心的な役割を担っているものは津波の恐怖と哀話です。誤解のないように言っておくと、津波の恐怖や哀話そのものを否定しているわけでは決してなく、被災体験を語るということは大変な困難が伴うものであり、それを「忘れないでほしい」という強い思いから語られるということには、心から敬意を表したく思っています。それゆえに、当事者のその貴重な声には耳を傾け続ける必要があり、大切にされ続ける必要があると考えており、その教えによって実際に人の命が救われることもあることを知っています。
しかし、残念ながら、それだけで「二度と繰り返さない」が実現するとは私には思えないのです。それどころか、残念なことに、哀話は平時から取り組まねばならない「めんどくさいこと」=様々な本質的な対策を後回しにし続ける力すらあると私は感じています。
『津浪と村』の著書である山口弥一郎は
これが天然の大災害になると、報道陣はおろか、政府も救済団体も、学界まで大わらわになって、急にはじき出されたように活動を始める。「二度とかかる大災害を起こさないために」。このかけ声は切実で正しい叫びに違いないが、どうしてかわれわれには、これが単なる弱い「祈願」のようにひびいてきて仕方ない。
と綴り、また
古くよりの津浪史が編纂され得るほどに、数多くの津浪が襲うて来ているのであるが、災害度を記録するか、避難方法を諭す程度の記録以外は、いたずらに哀話のみ多くて、村を安全地帯に移動させたと言う記録の類を発見することはほとんど出来ない。
と指摘していますが、これらは昭和8年に「被災地」を襲った昭和津波後の記述です。これまで私が綴ってきたことと同じような内容であることがおわかりいただけるでしょうか。
地震学者であり、関東大震災を警告していた今村明恒は、関東大震災が起こったときに多くの犠牲が出てしまったことに対して強い「責任」を感じていたと言われており、それについて『歴史悲話ヒストリア 災害と日本人 先人はどう向き合ってきたのか』では
(今村の警告で)人々が感じたのは地震へのおそれであり、今村が強く主張した地震への備えはあまり伝わらなかった
と説明されていました。
「二度と繰り返さない」が内実を伴わないかけ声となり、具体的な安全は確保されない挙句、注目もされない…注目をされるのは哀話や恐怖ばかりであり、備えではない…これは今も大して変わりないように私には思えてしまっています。
繰り返しますが、「二度と繰り返さない」と言うことも、哀話も災害の恐怖も大切なものではあります。しかし、私が言いたいのは、それだけに頼る「防災・減災」政策の在り方は、「助かるかどうかは自己責任」という「責任」の放棄であり、山口氏の言葉を借りればただの「祈願」に過ぎないということです。
為政者等がそれを利用しているだけではいけないのですが、それを利用して「おしまい」としている現状さえあるように感じ危機感を抱いています。為政者やマジョリティ特権を多く有する人らにはその先にこそ本来の「責任」があるのではないでしょうか。
「繰り返してきてしまった」象徴的なもの
上記の山口氏の指摘と私が感じていることとがリンクしていることから、そうした「責任」は後回しにされ続けていることをご理解いただけたかと思いますが、「復興の在り方」についても同様の見解があるため引用したいと思います。
『震災と語り』の著書である石井正巳は、柳田国男が関東大震災の復興について(だったと思います)言及した昭和三年に出された『多難孤立の都府』を引用して、このように述べています。
「(柳田は)渡らぬ橋となり、あるいはごみの中の公園となるにおよんで」と批判し、「有りふれたる新市街を作りながら、復興こゞに成ると揚言するほどの大胆なる技術家等は、到底吾人の愛市運動の友では有り得ない」とまで書いています。
スピード感があっても、住民の生活を考えないハコモノ行政の復興に対して、柳田国男は非常に冷やかに見ているのです。
このことは②の【復興に対する疑問】で書いているので私の感じていることは省きますが、「反省」のない「復興の在り方」が「二度と繰り返さない」ということは愚か、災害が起こるたびに「同じことを繰り返す」温床とさえなっているのではないかと考えています。
そうした「同じことを繰り返している」ものの中で、後回しにされ続けている象徴的なものが「災害とジェンダー」の視点と私は思っています。
大船渡市出身であり自身も悲劇的な津波被害等を経験した山下文男は、著書『津波の恐怖』において津波による犠牲者が、男性よりも女性の方が多いことを指摘しています。
女性の立場の弱さや半封建的な家制度などがその理由として考えられ(それ以外にもありますが)、そのことについて山下氏は
念のために云えば、この問題は21世紀に入った現代でも完全には解消されていない。
と警告していました。
『津波の恐怖』は2005年に発刊されたものであり、その6年後に起こったのが東日本大震災です。
警察庁の調べによると、東日本大震災においても、残念ながら、男性よりも女性の犠牲者が多かったとされ(ただし高齢者における差が多かったとされています)改善はされませんでした。
遡れば、災害とジェンダーについては、阪神淡路大震災ですでにその視点の重要性について指摘がされていました。「津波常習地」である三陸沿岸部の地域を限定したとしても、それは「繰り返されて」いたことがわかっていたのです(このあたりは別で書く予定です)。
これはジェンダーの視点が欠けていたこと・男性優位社会であることに無自覚であったことの表れであることはもちろん、海開きの例でも述べたように、いわゆる「社会的弱者」「災害弱者(災害時要配慮者)」への視点が政策に主体的に取り入れられ参画されなければ、「二度と繰り返さない」を成し遂げることは不可能であることを示していると思います。
また、「復興格差」という視点においても同様に警告はありました。
大船渡市立博物館で行われた特別展『津波災害からの復興 東日本大震災から10年、チリ地震津波から61年の記録』では、チリ津波後の当時の地元新聞に「街は復旧したけれど」というタイトルで、「復興格差」についての記事が展示されていました。
その記事が
めまぐるしいスピードで街が復旧する一方で、年の瀬に今後の住居に不安を抱える人がいたことを伝えて
いるとあり、このことから現在も進行中である「復興格差」の問題が「繰り返されている」ということがわかります。
さらには、災害が起こると、災害そのもののインパクトの大きさから、その一点あるいはその直後にばかり焦点が当てられ、その前・その後の「生活」(=尊厳)が蔑ろにされがちになります。
長崎の原爆被害に関する番組『焼き場に立つ少年をさがして』では、被ばく当時子どもであった方が
親せきに引き取られた後が話したくない。たらい回しにされたり、冷たい仕打ちにあったり、それがつらかった
と語る場面がありました。
これは戦争の例であり、災害とは少し異なる部分があるかもしれませんが、災害そのものではなくその後の出来事(=人災)をつらい経験として抱えている人を見てきた私からすれば、こうしたことへのまなざしや反省の視点があまりに欠けているように感じます。
災害では直後に生き延びることは何より大事なことではありますが、その後をどのように生きていくかについて、その避難生活の困難さや格差の問題(それらは社会構造や特権などの問題でもある)などにもっと目を向けなければなりません。長期的な「防災・減災」は特別なことではなく、平時からの公正に向けた取り組みだからです。
それは(誤解を恐れずに言えば)「めんどくさい」地味な取り組みであり、きれいなこと(哀話や美談)ではありませんが、ここに目を向けない限り「繰り返され」続けるでしょう(微力ですが、theLetterで「反省的」に綴るのはこうした視点のものを可視化したいためです)。
こうしたことが放置されたままで進む「復興」、そして「伝承」では未来に何が語り継がれ、何が残され、何が学ばれようとしているのか…逆を言うと、何が語り継がれてしまい、何が残されてしまい、何が学ばれてしまうのか…このことにもっと自覚的である必要があります。
何が語り継がれ、何が残され、何が学ばれるのか…伝承施設から見えるもの
未来へ「語り継がれ、残され、学んでもらう」ために各地で伝承施設が建設されています。
語り部がいるところもあり、当事者の経験や言葉からは多くを学ぶことができるだろうと思います。
しかし、これまでいくつもの伝承施設を訪れてきた私にとってはこれもまた違和感を抱くばかりでした。正確には、この「復興の在り方」から語り継がれるもの、残されるもの、学ばれるものの現実はこうならざるを得ないだろう、ということに妙な納得(と大きな懸念)をしています。
たとえば、震災の教訓を語る時に当然ながら「助かる」ために何が必要かが語られます。「なぜこれほどの犠牲が出たか」という問いです。こうした問いにおいて、伝承施設などで伝えられる答えの多くは「正常性バイアスがある」というものであったりします。
誤解のないように言うと、このこと自体は誤りではありません。簡単に言うと「正常性バイアス」という「大丈夫だろう」と思う認知のことです。「地震があっても大した津波は来ないだろう」という認知が避難を遅れさせたということは間違いなくあると思います。
しかし、私が言いたいのは、たとえばそれは男性よりも女性の犠牲者が多いという理由にはなりうるのかということです。
東日本大震災においては指定されていた避難所に行ったのに犠牲になった方も大勢いますが、その行動は「正常性バイアス」が働いたからなのでしょうか。
「なぜこれほどの犠牲が出たか」に対する答えを「正常性バイアス」によって避難しなかったからとする(それを大きな声で語る)ことは、私からしてみたらそんな無責任な話はないと憤りを覚えます。それは「助かるかどうかは自己責任です」と言っているようなものでしかないためです。
また、これまで訪れた伝承施設において、防潮堤が被害を生むリスクについての記述があったところはほぼありません。女性や災害時要配慮者等の多様な視点からの検証、“特権”や“権力”による二次被害・三次被害など、そうした実態についての展示も見たことがありません。
災害時には性被害が増える恐れがあり、性加害を止めるための取り組みが重要であること。
意思決定の場に男女や災害時要配慮者をきちんと就ける必要があること。
支援や観光・移住者の加害性。
ショックドクトリン。
縦割り行政の限界や機能不全。
避難生活における分断や改善の必要性。
差別や偏見。
国と地方の関係性。
復興と民主主義などなど…平時からの格差や不公正の是正が防災や減災にいかに影響を及ぼすかと同時に、災害時に特別に起こりうることの蓄積が多くあるはずなのに、こうしたものがまるで無視されているように思います(繰り返しますがこうしたことをtheLetterで書いていく予定でいました)。
このことは“マジョリティ特権”を多く有するである為政者・支援者・移住者(被災地におけるマジョリティ特権)が“特権”に無自覚なまま進めてきたこと、また、男性中心の考え方で「復興」が描かれ、語り継ぐもの・残すもの・学ぶものに多様な視点を取り入れられなかった社会構造の歪みに原因があると考えます。
これらを「反省」しない限り、「二度と繰り返さない」ということは「祈願」のままで終わってしまうことが今明らかになっているように思います。
改めて、私が反省的記録を綴る理由―災害大国・気候危機・人口減少の時代を迎えて…
ここまで、私がなぜ未来への懸念を抱いているかについて書いてきました。
厳しいことを書いていますが、もちろん、完璧な復興などありませんし、それを期待しているわけでもありません。
しかし、災害大国であること、気候危機の時代を迎え災害被害の広大化・複雑化・甚大化が懸念されていること、そして、人口減少の時代を迎えていること等を思うと、あまりにひどすぎる…と私には思えてならないのです。
こうした現状を打破するためには、ジェンダーやインクルーシブ、ダイバーシティ(多様性)、人権や尊厳、民主主義や人間の復興といった視点が欠かせないことは間違いないと思いますが、いずれにしても、足もとを見て「反省」することからはじめないといけないのではないかと強く思います(もう遅いくらいかもです…)。
加藤克夫氏は『第二次世界大戦期フランスの「強制収容所」とユダヤ人迫害の「再起記憶化」』において、上下両院で採決を経て制定された、ホロコーストにおけるフランス国家の責任を公式に認める2000年7月10日法が成立した背景に
「アウシュビッツの嘘」発言を繰り返すルペン率いる国民戦線の台頭を前にして、同じ過ちを繰り返さないためにも、過去の過ちをきっちり生産し、次の世代にたいする教育を強化しなければならないという強い危機意識と義務感があることを指摘しておきたい
と綴っています。
また、その際の下院の報告には、社会学者であるアラン・トゥレーヌの言葉である
「過去を直視することのできない国民は、未来を展望することがはできない」
が引用され、上院の報告においても、
下院の「文化・家族・社会問題委員会」委員長であるジャン・ル・ガレックの「過去を忘れようとする者は、かならずや過去を蘇えらせてしまうという仕返しを受けることになる」という発言が引用されている
とあります。
これは人為災害と自然災害という点で(先に書いた長崎の例を含め)異なる部分があることは理解していますが、②【復興に対する疑問】でも引用したように、
いつの世でも、自然災害の後にやって来るのは「人災」であった
ということを謙虚に受け止めれば、「反省」なくして「二度と繰り返さない」が実現しないということが理解できるでしょう。
自己責任で助かる防災・減災(だけ)ではなく、平時からの取り組みがそのまま命と暮らしを守るということについて、もっと掘り下げられ、実践されねばなりません。
人口減少社会となり、高度経済成長期のようなハード面に頼るまちづくり、復興の在り方で残されるもの、見残されるものが何かを反省しなければいけないとも思います。
忘れられているもの、忘れさせようとされているものにもっと光りが当たるような取り組み・可視化が今まさに必要とされているのではないでしょうか。
以上が、私が反省的記録を綴っていく理由【③未来への懸念】の概要となります。
次の記事ではこれまでの3つの記事について整理しつつ、「私」がtheLetterを綴る意味や狙いについてもう少し書くことができたらと思います。
お読みいただき、ありがとうございます。
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