災害と変化

災害に関するテーマ記事。
ここでは『災害と変化』について、自身の経験を中心にまとめました。
大塚光太郎 2024.01.02
誰でも

2024年になりました。

昨年は福島原発の汚染水海洋放出やイスラエルによるパレスチナのジェノサイドなどが起こり、私自身深いダメージを負いました。なかなか筆が進まず、特に震災のことなどについて書いていて何か意味があるのだろうか…と思わされ、打ちひしがれたまま何も書くことができない日々が続きました。

そんな中で、この一年はいったいどんな一年になるのだろうか…と思っていたところに、能登半島で大きな地震と津波被害が起こってしまいました。

深く心を痛めるとともに、災害後の動きを見ていると東日本大震災の当時とさほど変わっていないのではないか…と思わされる光景がいくつか見られ、気が気でない状態になっています。

大きな災害が起こって私自身ハイになっているということでもありますが、Twitterを中心につぶやき続け、改めて自分自身の災害支援の記録・記憶ときちんと向き合いたいと思うに至りました。所詮私の力、何も力になれない無力感を覚えつつですが、今年はそのことについて書くこと(theLetter)を徹底したいと思います。これは私の反省の記録でもあり、自身の加害(性)についても触れていくものであるため、そのことに怖さも覚えていますが、必要な範囲・可能な範囲で書いていけたらと思います。

さて、今回は『災害と変化』というテーマで書きたいと思います。少し広い概念で輪郭がぼやけたテーマとなってしまっていますが、大事な視点かと考え、経験を通じて学んできたものを書きます。

※theLetterの記事は私の経験(「被災地・被災者」から学んだこと)であり、ほぼ主観となりますので、あくまでひとつの参考程度としていただければ幸いです。

***

災害は変化の連続

災害は日常を一変させると同時に「変化」の連続をもららすと言うことができます。

最初に私が宮城県石巻市に訪れた時には、信号が止まっているなど、インフラがまだ整っていない状況でしたが、次に訪れたときには場所によっては町がきれいになっており、見違えるような光景が広がっていたことはこれまでに書いてきました(活動記録③活動記録⑥などご参照ください)。

人々の力がそうした変化を生み出してきたと言うこともできますが、時間が経つことによって「被災地」は日々急速な変化を遂げていきます(時に、地域によっては何も変わらないということもありますが、このあたりは以下に、また、別の記事でも書く予定です)。

そもそも災害は町の機能を停止させ、光景を一変させることなどから「変化そのもの」と言うこともでき、人々はそれに翻弄される形で生活の場や暮らし方を変えるなどといった変化(の連続)を強いられます。

とはいえ、災害後の変化には特徴があり(災害後の反応ー地域編ーの記事で少し触れましたが)ラファエルによると、災害後は「警戒期」「衝撃期」「ハネムーン期」「幻滅期」「再適応期」という区分がされたりします。

現在、能登半島で被災したエリアにいる方々はおそらく「警戒期」と「衝撃期」とが並行しつつ、「ハネムーン期」を迎えている頃かと想像がされます。人々が大きな災害を前に圧倒されながらも結束し、ある種、災害ユートピアと呼ばれる状態が生まれつつあることが想像できます。一様にこのような変化が起こると断定することは取りこぼすものがある点で私はあまり好みませんが、このような変化があると踏まえると、新型コロナウイルスのときに多くの人が耳にしてきたであろう「フェーズ」という視点が重要とされます。

フェーズとは

プロジェクトや計画の進行状況を示す際や、物事が進行する過程を表現する際に用いられる
weblio辞書より

という意味で、その時その時によって状況が異なる(変化)ため、それに沿った支援等が求められる意味で使用されるものです。私達は災害後「フェーズ」をもとに、支援や関わり方を検討していく必要があり、平時ではさほど考えることのない視点を持つことになります。

また、災害は社会情勢や季節によって影響や考えるべきことが異なります。活動記録⑥では、時間が経ったことにより被災した魚類等が腐敗し、その匂いが深刻なものとなっていた経験を綴りました。

「フェーズ」の話も含め、このあたりの「変化」は経験談を追っていくことによって具体性が伴うものと思われますが、能登半島で言えば真冬・お正月に起こった災害であり、この時期は親族が集まっていたことで被害が異なったということもあるでしょうし、感染症(ノロウイルスやインフルエンザなど)に注意をしなければならなかったり、寒さによる関連死、道路状況(路面凍結など)により注意を向けないといけなかったりすることなどが考えられそうです。新型コロナウイルスもまだなくなったわけではないため(社会情勢)こうした対策も必要とされます(その意味では政治・権力者がどのようなものかによって大きく変わってきます)。

時間とともに季節(気象)が変わるということも踏まえ、次の季節に移った時の対策ー暑さによる脱水などーについても考える必要に迫られます。そうした変化をできる範囲で予測しながら対応していくことが日々求められ、平時ではあまり意識しなくてもよかったことが、より顕著に現れるのが災害後の変化の特徴と言えるでしょう。そして、時間の移り変わりが人々に力をもたらすことも(わずかながらも)ありえるという視点もまた大事にされる必要があると私は考えます(きれいな花や行事、動物の移動など)。

石巻市、被災地域に飾られていた鯉のぼり

石巻市、被災地域に飾られていた鯉のぼり

ただし、時間は進み続けるため、社会は時間で設定されているもの(受験など)について適切な配慮や措置を十分に備える必要があります。

「被災地」では様々な変化の連続を強いられていることを踏まえて、検討がなされなければならないだろうと私は考えます。

災害と格差

そうした変化は当然格差をも生み出していきます。

先程書いたように、町が見る見るうちに変化を見せるところもあれば、いわゆる過疎地などでは被災後に手つかずのまま、全く変わらない光景が残り続けるということもあります。

また、災害は地域の機能を停止させることから、人々は住まいを移動する必要性に迫られることがあります。災害が起こると、あるいは予期すると多くの人々はまず避難所(次のテーマ記事で書きます)へと移動し、そこで生活を送ることとなります。その期間の長さは災害によるダメージの大きさなどによって異なりますが、そこでは慣れない集団生活を求められることがこの国においては多いだろうと考えられ、環境の変化は大きなストレスとなると考えられます。そうした変化や設備が整っていないことなどによる環境の不十分さなどから、たとえば、認知症の方の症状の早く進行したなどといった声をこれまで聞くことがあり、持病の悪化が心配されます。

避難所での生活後、自宅へ戻れる人は戻り、そうでない人は応急仮設住宅等へ住まいを移し、さらにそこから自力再建をする人とそうではなく災害公営住宅と呼ばれるアパートに移るなどと移動を重ねると同時に、人々は経済格差などに直面していきます(このあたりも別で書くことになると思うので、ここでは詳しくは書きません)。それによるコミュニティのあり方・関係も(そもそも災害でコミュニティそのものも変化が起こることもあります)変化し、格差を感じながら暮らすことになる現実が待っていると言えるように思います。

また、時間とともに人は年齢を重ねていくため、被災時に高齢者であった人は長くかかる復旧・復興のことを鑑みて、今後の選択をしていかなければなりません。平時からマイノリティの立場に置かれていたり(環境が整っていなかったり)虐待家庭など暴力や抑圧被害に遭っている人たちはより困難な暮らしとなる可能性も考えられます(自立が阻まれたり、問題を後回しにされたり、災害によるストレスの矛先が向いたりなど)。自己責任として切り捨てていく社会ではこうした人たちが孤立していくことは目に見えているでしょう。

格差はこのような住まいや経済面だけに現れるわけではなく、災害後に必要な支援においても起こります。たとえば、災害直後は避難所に多くの支援物資が届きますが、自宅待機・避難している人たちのもとにはなかなか届きにくいことはよく指摘されます。自宅待機・避難している人たちは自宅で暮らすことができる人たち=大丈夫な人たちと認識されたり、本人たちも避難所に支援物資をもらいに行くということに気が引けてしまったりするがあるのです。

これは仮設住宅等に住まいが移った時にも起こることであり、時間が経つとともに助けを求めにくくなるといった支援(受援)の格差が生じるのが災害後の特徴のひとつと言えるように思います。

活動記録⑥では、ニーズの多様さ・開きの話を書きましたが、被災の度合いや状況によってボランテイアとのマッチングが難しくなったり、声を上げにくくなったりということは時間とともに起こっていきます。支援団体等が時間とともに地域から撤退していく動きが見られることもまた災害後の特徴と言え(もちろん入ってくるということも特徴ですが)東日本大震災のときは、震災から5年目くらいからそうした動きが顕著に見られたように私は記憶しています。ここではそのことの是非を問いたいというわけではなく、人の出入り・リソースの変化が起こるという視点からすると、環境が整わないうちに支援の手が減ることで、格差の問題に対処しきれなくなっていく可能性もあるということは言えるのではないでしょうか。

そもそも災害が起こると、平時から困っていることが悪化したり噴出したりするのですが、それを「災害と関係ない」とされたり、自身も相談していいものかと遠慮してしまったりして、助けを求めにくくなるということも支援格差のひとつと言ってよいように私は考えます。死別をはじめ、家族関係そのものが変化したことで、生活そのものが一変してしまうという人も中にはいるでしょう。

次から次へと変化が起こっていくことで、それについていくことが困難になる人は当然におり、周囲もその変化に対応できるものとそうでないものとで(無意識においても)優先順位がつけられ、劣位に置かれるものはより劣位に位置づけられていってしまう、ということが考えられます。その優先順位は平時の社会が何を優先しているかに大きく左右されるでしょう。こうした目に見えない格差も災害後には次から次へと生じていくことは頭においておく必要があるのではないかと私は考えます。

災害がもたらす変化

その他、災害による変化は個人の単位で見ればたとえば信じていたものが信じられなくなるといった変化を人々にもたらしたり(人々の反応としてあるもの)価値観や生き方を大きく変えたりする力があります。

私は東日本大震災によって東北に移り住むという変化を経験しましたが、災害を経験しなければその決断は考えられなかっただろうと思います。また、ともにボランテイアをしてきたある外国人の方は、IT企業に勤めていたようですが、泥出しなどのボランテイアをするうちに自身は肉体労働の方が合っていると思い(気づき)職を変えたと聞いたことがあります。

「被災者」も、災害がなければおそらく出会うことのなかった人たちと出会うことで、描いていた進路が大きく変わったという人もいれば、強いダメージを負って、それに翻弄されるといった変化を経験している人たちもいるでしょう。簡単に分けて語れるものではないと私は考えますが、PTSDとPTGという概念があるように、ダメージを経て人がどのように進むかは人によって異なります。その結果を失敗・成功と捉えるのではなく(Gになることがいいことのように固定された考えはどうかと私は思います)そこにはどのような質のサポートや環境があったかを学び、どのような状態の人も尊厳を持って生きていくことができるよう、地域社会は考え続けるべきだと私は考えます。

また、被災や復旧・復興によって町の風景が変わることで喪失感を抱いたり、そこで暮らす人々が何を大事に思っていたかを見つめ直されたりといったことも経験します。喪失感を抱え、見つめ直す過程の中で、日々町が変わり続けることから、その変化に圧倒されたり振り回されたりするということもあります。

生き残った身として、そうしたことや自身の経験を伝えることに意義を見出すといった変化を経験する人もいれば、考えたこともなかった生きる意味を問い続けるといった人もいるでしょう。必要な社会資源を生み出したり、不要なものを手放せず繰り返してしまう現実と直面するということもあります。

注意しなければならないのは、政治や時の権力者はこうした変化をもとに、大規模な変化を起こそうとすることがある点です。これは「被災地・被災者」には余裕がない中で行われるので、そうでない人たちが注視する必要があるでしょう。

災害は変化そのものであり、あらゆる変化を生み続けるものであることを前提に、それに振り回されることは避けられないながらも、我々は何を大事にして生きていくのか、何を大事にする必要性があるのかを問い続けること。それこそが災害がもたらす変化と向き合うということなのかもしれません。

以上が、『災害と変化』のテーマ記事となります。

テーマだけでなく内容も結局あいまいなものになってしまいましたが、具体的なものは別のテーマや自身の経験談の中で書いていくことができればと思っています。

この度の地震・津波で犠牲になられた方々に謹んでお悔やみ申し上げるとともに、被害に遭われた方々に謹んでお見舞い申し上げます。みなさまが少しでもご無事に過ごせますよう、少しでも早く落ち着く日々が訪れますよう、祈るばかりです。

お読みいただきありがとうございます。

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