災害と治安

災害に関するテーマ記事。
ここでは『災害と治安』をテーマにし、自身の経験を踏まえて、考えたことをまとめました。
「災害後には犯罪が増える」といった煽るような内容ではなく、「わかりえない」といった現実について、かつ、災害直後のことだけではなく、長期的な視点で見たときの「治安」についてー今の日本社会に対する危機感と合わせてー書きました。
大塚光太郎 2024.04.09
誰でも

能登半島地震から三ヶ月以上が過ぎました。

災害の時間軸はおよそ人のそれとは次元が違うにも関わらず、「年度」という人が作った事情によって支援が終了するなどといったニュースを前に、立ち尽くす私がいます。プッシュ型支援からプル型支援に切り替える、という意味であると捉えたいと思いますが、

今も140人余りが炊き出しを必要としています
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6496489

といった状況をなどを踏まえると、その判断が適切かどうか、正直疑わしく思ってしまいます。

この間、台湾で大きな地震が起こり甚大な被害が発生しましたが(被害が少しでもなく、一日も早く穏やかな日が訪れることを願うばかりです)能登半島地震と台湾の地震との政府対応・避難所対応などの質の差が顕になっています。このことを含めて、私たちは国や行政の災害支援のあり方や備えに対して、もっと改善を求めなければならないのではないかと私は思います。復旧や復興の遅れを自己責任論や住民の助け合い・団結の(不足の)問題に落とし込まれてしまわないように注視していくことも求められているでしょう。こうしたことは、今回のテーマである災害後の地域や社会の治安とも密接に関係していると思われます。そのことについて、以下、書いていきたいと思います。

※theLetterの記事は、私の経験(「被災地・被災者」から学んだこと)が中心のほぼ主観の内容ですので、あくまでひとつの参考程度としていただければ幸いです。

震災から5年後頃の陸前高田市の光景

震災から5年後頃の陸前高田市の光景

***

災害後の治安に関する一般的なイメージ

東日本大震災後に注目されたのが、日本人(あるいは東北の人)の「忍耐強さ」や礼儀正しく振る舞う「被災者」の姿でした。その姿は世界中(といっても大袈裟ではない)で称賛され、日本人の「美徳」として語られることが多くあったように思います。

これについては様々な見方・語り方ができますが、こうした言説が注目を浴びたのは、絶望時に希望を見出したいという心理もあれば、一般的に人々は災害後の悲惨な状況に耐えきれず(我慢できず)横暴に振る舞う(暴動が起こる)可能性があるというイメージを持っているからではないか、と考えます。

奈良女子大学の岡本英生教授(以下、岡本)は

海外では大きな災害が起きると被災地では犯罪が起き治安が悪化するといった報道が見られる。しかし,私たちは日本ではそのようなことが起きないと考えているのではないだろうか。


と言い、この指摘は上記した「美徳」とするまなざし(あるいは希望を見出したいという心理など)が、私たち日本に住む人の中にもあることを表しているのではないか、と私には思えます。しかし、岡本はそうした考え(まなざし)と実態とは異なっているとして

これまで調査を行ってきた阪神・淡路大震災(1995年),東日本大震災(2011年),そして熊本地震(2016年)では,警察統計を見ると確かに被災地では認知件数の総数は減少していた。ところが,地域別・罪種別で検討すると増加が見られたものがあるし,被災者の方々からていねいに情報を集めると犯罪被害の申告が得られた。どうやら大きな災害のあった被災地では犯罪が起きにくくなるというわけではないようである。

と指摘しています。

今回の能登半島地震を受けて、総合危機管理アドバイザーの三沢おりえ(以下、三沢)は

大地震や大きな災害の後、混乱により犯罪率が高まる傾向があります。
 特に被災地では、窃盗、詐欺、性犯罪など様々な犯罪が発生しやすくなり、実際今回の令和6年能登半島地震でも犯罪が増えてきています。


と、具体的な犯罪の例を挙げながら注意を呼びかけています。これは「美徳」は単なる「美徳」に過ぎず、一般的なイメージの方が実態と近いといった主張だとも言えるでしょう。

こうした指摘がある一方で、刑事法学の専門家である斎藤豊治(以下、斎藤)は

日本では、大震災後には無警察状態となり、社会が解体して犯罪が急増するという認識が広がっているが、そのような認識は妥当ではない。一般に自然災害は被災者の間や社会全体で連帯意識を生成、強化させ、犯罪を減少させる効果を持つ。
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-10420011/

と三沢とは真逆の指摘をしています(能登半島地震のことを指した発言ではありませんが)。このことについてどう考えるとよいかはとても難しいですが、少なくとも、決めつけずに考えていく必要があると言えるのだろうと思われます。この記事ではその立ち位置で、結論を出すことを目的に置くのではなく、わからないという中で考えていきたいと思います。

災害ユートピアと”例外”

冒頭からどっちつかずの内容となっていますが(一緒に考えていってもらえれば幸いです)以前こちらで、災害時には「災害ユートピア」という現象が起こることを紹介したことがありました。改めてそのことについて少し触れておくと、『災害ユートピア なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』の著者であるレベッカ・ソルニットは

地震、爆撃、大嵐などの直後には緊迫した状況の中で誰もが利他的になり、自身や身内のみならず隣人や見も知らぬ人々に対してさえ、まず思いやりを示す。大惨事に直面すると、人間は利己的になり、パニックに陥り、退行現象が起きて野蛮になるという一般的なイメージがあるが、それは真実とは程遠い。
『災害ユートピア なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』

としており、

災害が発生すると、それまでの秩序はもはや存在しなくなり、人々はその場で即席の救助隊や避難所やコミュニティを作る。
『災害ユートピア なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』

としています。

この指摘のように、災害が起こると私たちは誰に頼まれるでもなく避難を呼びかけたり、無事を祈ったり、手を差し伸べたりすることが確かにあるように思います。私のメモには

避難所に行くと、おじいちゃん、おばあちゃんが「私らはいいから孫に食べさせてくれ」って言うんだ。孫は自分の孫じゃないのに。
メモ

というエピソードなどがあり、これまでにそうした話はよく聞いてきました。一緒に災害支援に従事した仲間たちから感じてきたように、災害時には「なんとかしたい」「なんとかしないと」などと誰もが(と言っても過言ではないくらいに)思い、助け合いや連帯が自然と生じることに特に異論はないのではないかと思います。これは上記の斎藤の

一般に自然災害は被災者の間や社会全体で連帯意識を生成、強化させ、犯罪を減少させる効果を持つ
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-10420011/

という言説を支持するものだとすることもできそうで、災害後の連帯は一時的に犯罪を減少させ、治安を守るという見方には一定数説得力があるように思われます。

ただ、岡本や三沢の指摘のように、災害後に犯罪が減る(治安が安定する)と決めつけることもまた違うとすると、ここで大事となるのは、そもそも「災害時(後)の治安はどうなるか」という問いの立て方をするのではなく「災害後に地域や社会に連帯が生まれるとはどういうことか」あるいは「そうなりうる地域社会であるかどうか・そうなりうる地域社会とはどういうものか」という問いこそが重要となるのではないか、と私は考えます。

そのことは、斎藤が災害後に犯罪が減少するといった前提を挙げつつも、その例外もあるとして

例外的に災害後に犯罪が増加するケースでは、社会解体の状況が先行して存在し、災害が引き金となっている。
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-10420011/

と指摘していることとつながります。斎藤は犯罪が増加したケースの例として、関東大震災を挙げており

1923年の関東大震災では朝鮮人に対する殺害が広がったが、それに先行して朝鮮半島の植民地経営による窮乏化と日本本土への人口流出、1929年の三・一独立運動に対する軍事的制圧などが行われ、民族的偏見が強まっていた。
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-10420011/

と、関東大震災以前に解体した社会があったことを挙げています。この例はこれまでtheLetterで書いてきた(そしてこれからも書いていく)「災害は平時の問題を噴出させるものである」ということを映し出しているとも言えるように思います。

社会不安・平時の社会課題による治安の悪化

平時の社会が不安定(不平等・不公平)であると、災害はその不安定さを露呈させる「引き金」となることは、助け合いや連帯感のある社会が犯罪を防ぐということと同じくらい想像できることのように思います。斎藤が例外として挙げた関東大震災の朝鮮人虐殺においては、平時の社会不安や偏見・差別の問題(さらには植民地主義などの加害性など)が災害によって顕在化し、いわゆる憎悪のピラミッド(こちらを参考にしてください)が加速度的に上昇してしまった例だと言えるでしょう。

しかもそのことは日常の風景であるはずの「ふつう」の人たちによって起こされていくといった現実があり、関東大震災で被災したこどもたちの作文が紹介されている『震災を語り継ぐ 関東大震災の記録と東日本大震災の記憶』には

クリーム屋のおじさんや魚屋のおじさんがこういう取締(朝鮮人かどうかの取り調べ)をしているのです
『震災を語り継ぐ 関東大震災の記録と東日本大震災の記憶』※()内は大塚補足

といった様子がこどもの作文を通じて紹介されています。

『関東大震災と流言 水島爾保布 発禁版体験記を読む』では、朝鮮人に対してもともとひどい扱いをしていたがゆえに反撃を恐れたという心理が流言飛語・虐殺につながった可能性についても言及されており、

水島は関東大震災の経験を通じ、流言を生み、信じさせるのは、集団的な潜在心理にほかならないと痛感していたのである
『関東大震災と流言 水島爾保布 発禁版体験記を読む』

とあります。こうした潜在心理は、解体した、ないし、傾いた社会においてはより強い暴力へと災害時に発展させてしまう恐れがあり、

無政府主義者の大杉栄と奥さんの伊藤野枝が検挙されて、憲兵の甘粕正彦によって殺されました。在日朝鮮人だけではなく、同時に、無政府主義者をこの機に乗じて虐殺したということがあるわけです
『震災を語り継ぐ 関東大震災の記録と東日本大震災の記憶』

という例もあれば、

「朝鮮人来襲」のデマを政府が利用した、あるいはデマそのものを政府が捏造したとの見方も根強くある。
『福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇』
「労働力として朝鮮人が日本に大勢来るようになったため、一九一三年、内務省は「朝鮮人識別資料に関する件」なる秘密通達を出し、「朝鮮人はガギグゲゴが言えない」「パピプペポが言えない」「アゴ骨が出ている」「目が一重である」などと特徴を取り上げ、監視体制をとっていた。
 これらが震災時に利用され、自警団は通行人を片っ端から訊問し、「アイウエオ」を言わせてみたり、教育勅語をそらんじさせたり、歴代天皇の名を言わせたり、また、朝鮮語にはない濁音がうまく言えるかどうかを試してみたり、相手にとってはまことに屈辱的な方法をとっていた。
『福田村事件 関東大震災・知られざる悲劇』

といった例もあり、政府や自警団などの強い力をもった人たちが便乗して力を行使したり、障がい者やいわゆる地方からの行商人といった朝鮮人とはまた違った差別の対象も影響を受け、被害に遭うこともあると言えるでしょう。

※関東大震災の朝鮮人虐殺に関しては『関東大震災 朝鮮人虐殺を読む 流言蜚語[フェイク]が現実を覆うとき』などを参照ください。その中に証言集の紹介などもあります。

この残酷で悲惨な事件は、災害後に犯罪が増加し、治安が悪化した最たる例だと言え、私たちが直視し続けなければならないことだと考えられます。過去の話にしてはならない話であり、むしろ

ふだんから極論が正当化されうる危うさがあり、そればかりか、まことしやかなAI生成画像まで流布するようになった。そこに災害などで社会が混乱に陥る自体が出来した場合、何が起こるのか。その意味でも「愚漫大人見聞録」の伝える流言の状況は必ずしも昔話とは言えず、生々しい。
『関東大震災と流言 水島爾保布 発禁版体験記を読む』

とあるように、現在の問題として深刻に考えなければならないでしょう(それにも関わらず、追悼文を送らない小池都知事や追悼碑を撤去した群馬県の姿勢などには憤りと強い危機感を抱きます)。

ここで私が大事にすべきだと考えるのは、このような残酷で悲惨な事件が起こった関東大震災時であっても、おそらくレベッカ・ソルニットの言うユートピア状態自体はあっただろうということです。関東大震災時においても助け合いの光景は間違いなくあり(東京都復興記念館などにそうした資料があったように記憶しています)その中で、こうした虐殺も起こってしまったと考えることが「教訓」となりうるのではないでしょうか。差別と排除を正当化してきた社会の結果、災害時にユートピア状態は生まれたものの、それが歪んだ形の連帯となってしまったとも言えるかもしれません。

災害後にユートピア状態が生まれるということと、犯罪や治安が悪化する恐れがあるということとは二項対立的に見えるかもしれませんが、それらは実は複雑に共存しうると考える必要があるのではないか、と私は考えます。これは、災害後の犯罪や治安の問題をどこから捉えるかという問題でもあるように私は考えます。

どこから捉えるか

関東大震災の例を挙げながら、「災害が起こると平時の問題が噴出する」ことについて考えてきました。平時の問題が噴出するということは、平時になにもない(という言い方が正しいかはわかりませんが)人と、平時から大変な状況にある(暴力や抑圧被害を受けている・受けやすい)人とでは、災害や災害後の問題の見え方・影響の大きさが違うということだと言えるでしょう。そのことは朝鮮人虐殺が朝鮮人に留まらなかったことから明らかとなっていると思います。

残念ながら、平時の社会には傾きがあります(解体した社会とはどのような社会を指すかまではここでは考えられていないことをご容赦ください)。先に紹介したレベッカ・ソルニットは著書『説教したがる男たち』で、男性よりも女性の方が圧倒的に被害を受けている現実をつまびらかに語り、その不平等・不公平な社会の様相を明らかにしています。これは男性と女性とでは、犯罪や治安に対する見え方や言動(備え・構え)がまるで異なることを示しており、端的に言えば、男性は自身が被害に遭う可能性が低いため、この社会は安全であり犯罪は自分とは関係ないものと認知しやすく、女性はその反対で、自身が被害に遭う可能性が高いため(むしろなんらかの被害を頻繁に経験している、あるいは、平時ではなく常に災害時という感覚であると言えるのかもしれません)この社会は安全ではなく犯罪は身近なものだと認知しやすいということだと言えるように思います。

※こうしたことについて、上智大学の出口真紀子教授は「マジョリティの特権」という概念で可視化していますので、興味のある方は『真のダイバーシティをめざして 特権に無自覚なマジョリティのための社会的公正教育』などをご参照ください。theLetterでは特権について頻繁に扱う予定です。

そうだとすると、上記した「災害時(後)の治安はどうなるか」については、マジョリティ(性が高い)側からとマイノリティ(性が高い)側からとでは、見解が異なるものだと言えるでしょう。そもそも犯罪や治安は、平時の社会がどのような常識で覆われているかによっても認知(件数)が異なります。災害時には"みんな”が大変な状況に陥ることや、今まさに命の危機があることなどから被害を言い出せなかったり、それを聞いてくれる窓口が機能していなかったりすることもあり、そもそも認知ができず、(犯罪や治安の指標が犯罪の件数で測られるのだとするならばなお)実態と件数とが必ずしも一致しない可能性が高いでしょう。災害の規模や種類・被災した地域や状況・時間軸等によってもそれは異なると思われるため、大事なことは、ユートピア状態もあれば、犯罪や治安の悪化も起こりうるという前提から、私たちの社会はどのような社会であり、どの立場からこの問題を捉えようとしているか自覚的になることなのではないかと私は思います。

少し抽象的な話となってしまったため、コロナ・パンデミックでの例を挙げて考えてみると、コロナ禍では外出制限がされたことによって、家にいないといけなくなりました。それにより、女性のDV被害や自殺が増加したことは周知の事実だと思います(たとえばこちらの記事をご参照ください。内閣府の報告などもあります)。これは平時の社会が家でのケア労働を女性に強いる傾向が高いことや、女性は非正規雇用でサービス業に従事する傾向が高いといった男女不平等な社会であることによってもたらされた犯罪の増加だと言えるように思います。これは男性(マジョリティ)側からでは「気付かない」かもしれず、治安は悪化したとは思わないかもしれません。当然、女性(マイノリティ)側からはそうした認知にはなり得ないでしょう(すべての女性とは言いませんが)。『国際医療福祉大学学会誌 第26巻2号( 2021) 災害が女性に対する暴力にもたらす影響』では

自然災害は女性の脆弱性を露呈させ,GBV, IPV, DVなどの暴力を増加もしくは激化,あるいは複雑化させる引き金となる

としており、平時の格差の問題・社会的弱者に負荷や暴力が向かう問題が深刻な社会であるならば、災害後の地域社会において犯罪も治安もーマイノリティ性が高い人から見ればなおー悪化する現実があると間違いなく言えるだろうと思います(災害後もその地域社会を語る声の大きさはマジョリティ性が高い人の方が大きいことが多いため、犯罪はなく治安も悪くなっていないとされることもあり得るだろうと思います)。こちらの記事に書いたように「災害は平等に起こるが、被害は平等ではない」ということを私たちは受け止めて、改善をしていくべきでしょう。その役割はマジョリティ性の高い人たちに特に求められていると私は考えます。

外から人が入るということ

災害時(後)の犯罪や治安は平時の社会の在り方に大きな影響を受けることを書いてきましたが、災害時にはそれ以外にも犯罪や治安に影響する現象が起こります。それは、不特定多数の人が外から入ってくるということです。

被災した地域では、災害によって地域での対処能力を越えることから外からの支援が必要となります。基本的に外から入ってくる人は支援を目的に「被災地」入りするため、危害を加えないという前提をもとに入ってきますが、それでも「被災地」「被災者」からしたら地域のことや被害実態を知らない人(二次情報でしか知らない人)であり、かつ、不特定多数であることなどから、警戒心を抱くということは自然なことだと考えられます(その逆で、助けてもらえると感じる安堵感が生じることもあるでしょう)。それがトラブルにつながってしまうこともあれば、残念ながら、上記の前提を共有できていない人が中には紛れていることもあり得るでしょう。支援者やボランティアによる犯罪や治安の悪化ということも災害時には考えられるのです(同時に、そういう人達によるユートピア状態も当然ありえます)。

以下の話はどこまでが本当か私にはわかりかねるのですが、被災直後に県外ナンバーの車がウロウロしていたという話やご遺体の指輪が盗まれる(外からやってきた人かどうかはわかりませんが)という話などをこれまで私は耳にしてきました。これらは不安ゆえに湧いてきたデマ情報とも言えるように思いますが(そういう可能性を念頭に置かないと大変危険)こうしたことが起こらないという確証も残念ながらありません。こうした例に限らず、ボランティアや支援者による(善意にも関わらず)暴力・傷つきなどは(私自身の経験を含めて)どうしても起こり得ます。

平時から協定を結んでいたり、顔を合わせるなどをして関係を作っていたりする人たちに支援を頼む(だけでは足りないことも多いですが)あるいは、外部支援者を登録制にしたり専門部署を設けてそこから入るようにしたりという工夫などは今後も考えられる必要があると思われます。そして、こうした機能は平時から信頼の置ける社会であるかどうかによっても質が異なるものとなりうるだろうと私は考えます。

※このあたりについては今後も書いていくのでここではこの辺で終えたいと思います。

対策を考える

ここまで、災害と治安の関係は一概に語ることはできないことやどの立場からこの問題を見るかで異なること、また、この問題は社会のあり方に影響していることや外から人が入ってくる災害時の特徴も影響するということについて考えてきました。こうしたことをもとにしつつ、実際にどのような考えのもと、行動・対策を取っていくことが重要なのかを最後に考えてみたいと思います。

これまで見てきた通り、災害が起こると助け合いが生まれるとは言え、混乱や不安という感情が湧き上がること自体は避けられないように思います。こうした人の気持ちをコントロールすることは難しい(そもそもしてはいけない)ため、大事なことはそうした感情を持つもの(集団心理が発生することを含む)だと理解しておくことと、それを実際の犯罪行為につなげない仕組みではないかと私は考えます。

熊本地震の際、現地に訪れて聞いたのは被災したエリアに泥棒が入るようになってしまったため、地元の人達で自警団を組んで見回りをすることになったという話でした。どのような背景(心理)があって犯人が泥棒をしたかはわかりませんが、見回りをすることで泥棒という行為につなげないようにする仕組みを構築することは重要だと思われます。割れ窓理論(この理論自体に賛否両論あるようですが)ではないですが、災害後の壊滅的な地域には「人の目が届かない」可能性があるため、人がきちんと見ているというメッセージを地域が出すことは抑止となりうるとも考えられます。

上記の三沢は具体的な犯罪とその対策を挙げており、窃盗に関しては盗みや置き引きがあることから、

警察も人がいない地域や地区には防犯カメラを設置したり24時間体制のパトロール、声掛けなどを行っています

とし、性犯罪に関しては

公になることが少なく、被害者が泣き寝入りしてしまう場合

もある現状を指摘しつつ、

避難所であっても1人行動などは避けるよう、また、ライトや防犯ブザー、ホイッスルなどの携帯もおすすめ

としています。さらには、「被災地」外での犯罪について支援金や保険、工事等に関する詐欺、悪徳商法を挙げ、

被災地では医療品が足りないなどに付け込み無承認医薬品の販売や健康食品の売り込みなども懸念され警察庁から注意喚起が出ています。 また復旧作業や今契約すると修理のお金が下りるなど弱みに付け込んだ詐欺や偽の保険契約の詐欺も懸念されます。

と注意喚起をしています。 これらは広く知られるべきですが、同時に、決して自己責任論に落とし込んではいけないものであり、犯罪に遭った側の落ち度を叩くような二次加害も断じて許されないものであることも広く共有される必要があると思います。特に、性犯罪に関してはかつて「そんなことは災害時に起こらない」とバッシングする声すらかつてはあったものであり(「どこから捉えるか」の章でも書いたように)マイノリティへ向かう暴力については特に対策が講じられなければならないでしょう。

その点で言えば、マイノリティ性の高い立場の人たちとともに防犯・治安対策について考える必要が(平時から)あるとも言えるでしょう。私はマジョリティ側なので気づけていないことが多いはずですが、たとえば、トイレは男女別に分けたり、動線を明るくしたり、避難所内ではプライバシーを守れる専用スペースや相談窓口がきちんと確保されたり、女性の警察官も含めて警察官に巡回をお願いできたり、加害を許さないという啓発ポスターを貼ったり、段差などのバリアフリー対策を考えたり…と様々な意見が出て、自ずと犯罪抑止につながるだろうと思われます。外部からの支援者も一緒になって考える立場となることで、トラブルなども減らせるだろうと考えられます。こういう視点をマジョリティ性が高い人もきちんと持てるように、そして、そういう人たちこそ、こうした視点が大事であると考え、動けるようにすることが対策において大変重要だと考えられます。

長期的な視点・災害復興が利用されることも見据えて

災害は起こった直後の大変さが注目されがちであり、犯罪や治安についても災害直後についての言及が多かったように(この記事を含めて)思います。しかし、災害はその後長く続く生活においても(むしろその方が)多くの困難が立ちはだかります(それをこれまでも、これからもtheLetterで書いていきたいと思っています)。

この活動記録では東日本大震災から2ヶ月が経った頃、車の盗難などの犯罪が起こっているという話を聞いたことについて書きました。これは斎藤が指摘してきた「社会が解体している状態」、言い換えると放置されている状態がゆえに、ストレスや不安などが強くなって起こっていることでもあるのかもしれないと私は考えています。中・長期的なスパンで見た時にはこうした視点が欠かせず、それで言うと、能登半島地震から3ヶ月が過ぎてもなお一向に街の様子が変わっていない(現地に行っていないのでわかりませんが)状況は、そして弱者のためにあるべき政治がここまで腐敗している状況は今後の治安に負の影響を及ぼしてしまわないだろうかと個人的には懸念しています。

私たちの社会は、災害後に犯罪が増加し、治安が悪化するような社会なのか、それともそれを抑止しうる社会なのか。災害対応に迅速かつしなやかに取り組む社会であるかどうか、国や地域のトップの政治家たちが健全であり人権やいのちを最優先に考えられる人たち・党であるかどうか。こうしたことが『災害と治安』において何より重要のように私は思います。

そして、そのこととリンクして重要となるのが、政府をはじめとした力を持ったマジョリティたちが災害を利用しないかどうか、という視点です。特に、戦争に向かわないように注視することはまじめに大変重要な問題です。(ショック・ドクトリン、惨事便場型資本主義については後日テーマとして扱う予定なので省きます)

『映像の世紀:関東大震災 復興から太平洋戦争への18年』では、このように言われています。

関東大震災の教訓は、その後戦争へ向かう日本の中ですりかえられていく
『映像の世紀:関東大震災 復興から太平洋戦争への18年』
災害訓練は空襲を想定した軍事演習にその性格を変えていった
『映像の世紀:関東大震災 復興から太平洋戦争への18年』
防災のために生まれた町内会は、国家総動員体制を下支えしていくものとなっていく
『映像の世紀:関東大震災 復興から太平洋戦争への18年』

詳細は実際に映像を見てもらえたらと思いますが、今の状況とあまりにも重なる部分が多くある内容に愕然とする私がいます。少しだけ内容に触れると、震災の際に無線でアメリカに情報を伝えたことで、世界から支援を数多得られることになったという経験が

震災後はじまったラジオ放送、内容は検閲され国家の宣伝機関となっていった
『映像の世紀:関東大震災 復興から太平洋戦争への18年』

ことや、軍が記者クラブの記者たちを赤坂の料亭に接待し、一晩で今の価値でいう300万円を使ったという記録もあり、それは

軍は新聞記者たちを時に恫喝し時に甘い汁を吸わせながらコントロールしようとしていた
『映像の世紀:関東大震災 復興から太平洋戦争への18年』

ためであったということなどが描かれていました。これらは今の裏金問題の自民党議員たちと何か違いあるのでしょうか…。

そのこと(腐敗した政治家や強欲な成金などの存在)を渋沢栄一は天譴説をもって指摘するものの

渋沢の主張は拡大解釈されていく。自由や豊かさを声高に求める日本人への戒めだという声が政治家などから上がった
『映像の世紀:関東大震災 復興から太平洋戦争への18年』

ようで、政治家たちはこれを捻じ曲げ、利用・悪用して

社会主義者などの活動を平時から制限する治安維持法の制定に動く
『映像の世紀:関東大震災 復興から太平洋戦争への18年』

ことになりました。治安維持法は

政府の意に沿わない言論を取り締まる法的根拠となっていった
『映像の世紀:関東大震災 復興から太平洋戦争への18年』

とされています。

震災後の治安維持を強く主張していた保守の強硬派の司法大臣平沼騏一郎においては

あの大震災の灰燼の中から盛り上がった復興の努力が今日の帝都を築き上げたように、明日の強力日本を建設しなければならぬのであります
『映像の世紀:関東大震災 復興から太平洋戦争への18年』

と言っており、これは震災後の復興の目標とされる国土強靭化となんら変わらないようにも私には見えてしまいます。

先に上げた朝鮮人の虐殺についても、軍隊が治安維持にあたり、かつ、町の復旧にもあたったことで

震災は軍縮によって薄れていた軍の存在感を取り戻す機会となった
『映像の世紀:関東大震災 復興から太平洋戦争への18年』

とされ、実際に陸軍の報告に

大震災と大火災は恰も、敵航空隊が都市襲撃の惨害の一端を適切に市民に紹介したるものに等しく、陸軍当局は此の好機会を逸することなく、各種の方法を以て更に国民に深刻に国防及び軍事思想の普及をなすを要す。
『映像の世紀:関東大震災 復興から太平洋戦争への18年』

とも残されているようです。

私たちはこういうことをきちんと「教訓」として学ばないといけないのではないかと改めて思います。関東大震災後、ラジオ体操を普及させた日本。その当時の鳩山一郎文部大臣は

全国津々浦々に亘り数百万人の国民が同じ時刻を以て、同じ号令の下に一糸みだれず、同一の運動を行うことを考えますると、実に爽快極まりないものがあります。協力の精神。これこそ大和民族特有の美徳であらねばならぬ。強壮たる身体、これ亦、其の特長であらねばならぬのであります。
『映像の世紀:関東大震災 復興から太平洋戦争への18年』

という言葉を残しています。こういう考え方が未だに日本には残り続けており、意思決定の場にいる人達が強固としてその考えを持っている社会であることには危機感しかありません。これは冒頭で話題に挙げた「美徳」の話ともつながっていると言えるのではないでしょうか。

こうして見ていくと、災害ユートピアは確かに起こり、災害時のひとつの希望と言えるように思いますが、今の社会においてそれは、公の責任をかき消し、マジョリティによって利用されることで自己責任論や、より危険な道へ進むことを加速させる可能性すらあると言わざるを得ないように私は思います。ボランティアを否定しておきながら、ボランティア頼みの災害復興には違和感とすでにそうした方向に今回の災害がすり替えられつつあることを感じます。

改めてとなりますが、私たちは「災害後に地域や社会に連帯が生まれるとはどういうことか」あるいは「そうなりうる地域社会であるかどうか・そうなりうる地域社会とはどういうものか」と自らに、この社会に問い続けなければならないのだと思います。「教訓」をきちんと見つめ、政治を注視していくことが災害(時)後に生きる人たちとしての責任なのではないかと私は考えます。

以上が、『災害と治安』のテーマ記事となります。

能登半島地震・津波において、一日でも早く落ち着く日が訪れるよう心から祈り、少しでも穏やかに人々が暮らせますように、できることをしたいと思うばかりです。そしてまた、この災害が利用されないよう注視していくことと同時に、台湾での地震被害に胸を痛めつつ、「教訓」をもとにできることをしていきたいと感じます。

※私の経験といわゆる「被災者」の方の声などを反映している記事ですが、誰でも読めるものとさせていただきます。

お読みいただきありがとうございます。

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